こんなことがあったら、家族は悲しむだろう。
こんなことを言われたらきっとあの人は不快に思うだろう。
人は誰かの心情について想像したり、自分だけで確信したり、心の中で様々に想いを馳せることがあります。
ですがそれは実は人のことではありません。
それは人を使って、見えない自分の気持ちを吐露しているものです。
知らない自分の気持ちを表しているのです。
いえいえ、私はそんなことでは悲しみません。
もし人に疑われても私は不快にはなりません。
私は大丈夫なのですが、きっとあの人は大丈夫ではないだろうから心配しているのです。
と、思うかも知れませんが、自分がそれについて真から大丈夫なのだとしたら、まずそれを心配することはないんですよ。
真から大丈夫な人は、誰しもに必要なことが起こると知っています。
だから安心して、それを体験する人に任せることができます。
また、真から大丈夫な人は、それが心配することだと思い出すことすらしません。
自分の心の中にそれを特別なことだと感じる場所が既にないので、その出来事では心に引っ掛かりを起こすことがないのです。
だから気付かず、結果的にその人に任せることになります。
人は自分の潜在意識について、自分だけで探し当てることができません。
だから、それを見つけるために他人を使います。
例えば自分を映画館の映写機だと思ってください。
映写機だけポツンと置かれていても、その中にどんなフィルムが入っているのかわかりません。
それを映し出すスクリーンが必要です。
そのスクリーンに投影してやっと、映写機の中にどんなフィルムが入っているのかがわかるのです。
自分と他者の関係は、映写機とスクリーンの関係と同じです。
映写機がスクリーンに向かって、あの登場人物、あんなこと言うなんてひどいよな!常識ないわ!とか感じるのはおかしな話です。
それはあなたに入ってるフィルムだからです。
そして!ここが大切なんだけど、フィルムに収録されていることはフィクションだということ。
自分の気にしてることがスクリーンに映し出されたからといって、それはフィクションなのでね、本当に起こっていると本気にしないでほしいのです。
それは真のあなたとは違う。
スクリーンには、自分自身が密かに心の中で恐れていることが、心配になる場面として映し出されています。
なんで私はこのことが心配になったのかな?
私が気にしてることってなんなのかな?
そのこと気にする必要あるのかな?
人の気持ちが心配になったなら、真っ先に自分に問いかけてください。
自分という映写機が、いったいなにを映し出しているのかを気にするのです。
そして問いかけの答えは常にひとつのみ。
『恐れる必要などない!だってこれはフィクションだ』です。
映写機にセットされたフィルム交換はいつでもできます。
あなたが心配になることが映し出されたら、それはつまらないホラー映画です。
さっさと交換してしまってね。
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