「犬というものの正体は、犬というかたちをした愛」
これは糸井重里さんの言葉です。
とても好きな言葉。
犬だけじゃなく、すべてそうですね。
ここにあるのは、ぜんぶそのかたちをした愛です。
友だちも、学校も、やな先輩も、恋敵も(笑)
そのかたちをした愛です。
幼い頃、聖書の中でこんな言葉を見つけました。
ーだれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさいー
私はずーっとこの言葉をどう理解したらいいのかわかりませんでした。
だって、右を叩いた人に左も叩かせたら、その人はもっと罪深い人になってしまうじゃないの?と思ってたからです。
叩いちゃいけないよ!って言った方がいいんじゃないのか?と。
もちろんこれは聖書の中に書いてある“たとえ話”ですからね。
現実に、もし誰かに叩かれたら、私はすぐ逃げますよ(笑)皆さんもそうしてください。
これはすべて“心の中のお話”です。
最近やっとこう思います。
イエスさまにとって、自分を叩く人の正体は、叩く人のかたちをした愛だったんだろうなぁと。
愛だからね。
そのかたちに左の頬を叩かせたとしても、愛の罪が深まるわけなどなかったのです。
愛だからね。
もともと罪などない。
これで私の心配事はなくなりました。
ザワザワしてる人!落ち着いて(笑)
みんなちょっと忘れるんですよ、
「え!マジ!私これから倍叩かれるの?往復?」
そんな恐怖で大事なことを忘れます。
これ言ってるの「イエスさま」なんですよ。
そして、心のお話をされてるわけです。
イエスさまは私たちが歩いていく方向を、つまり近道を教えてくれてるんです。
「こっち、近道ね!」
「見抜いて!そこに罪などないよ!」
てな感じです。
「上着を奪おうとする人には、下着もあげてね~」とも言います。
ここには上着も下着も、奪う人も奪われる人も、そんなものなにもないんだよ。
みんなそのかたちに見えるだけ。
その正体はすべて愛。
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5月7日(月曜)24日、31日(木曜)