不平や不満を感じることを誰かに話してるとき、人はそれが自分の意見だと勘違いして話していたりします。
人やシステムに対する批判はとくに、話してるうちにそれを批判するだけの理由をたくさん見つけます。
すると、なんだかいろんなことがわかったような気持ちになります。
それだけじゃなにも変化していないのに、自分の意見や考えを持ったように勘違いします。
不平や不満、批判は、なにかを感じた時の反応みたいなもの。
寒いや暑いと感じる、習慣的な脳の反応です。
例えば、お店に入ってすごく待たされたとします。
(急いでるのに困ったなぁ、なんでこんなにかかるの?)
この不満は意見じゃないんですよ。
「あれ?遅い!なんで?」は反応です。
しかも、遅い早いはここしばらくの生活習慣で身についた感覚で、
実は、本来の自分ならもっと待てるかもしれません。
ゆったり時間が心地いいからと、暮らしの環境を変える人がいますが、引っ越すのは「ここは他人が忙しそうだから」という理由ではないはずです。
自分がいつのまにか本来の自分のテンポでないのに、腹が立ったり焦ったりすることに疲れて、暮らしを切り替えるのだと思います。
あー遅っ!この反応の後、私ならこうするなぁ、私はこうしたいと考えるのが反応の次のことです。
急いでることを伝えてみよう
この時間にこのお店に来るのはやめよう
そう考えるのが反応の次のことです。
反応の次のこと。
そこに、自分の好みや意見や思考が現れます。
いいことがあった!悪いことがあった!
起きた出来事をそんな風に思うことがあります。
でもこれも、ここしばらくの習慣でいい、悪いとジャッジしてる脳の反応です。
本来の自分の好みや望みとは関係なかったりします。
「出来事は必要だから起きる」と知って、
「この出来事はなんのために起きたんだろう」
「なんのお知らせだろう」
そんなことを考えるのが、反応の次のことです。
不平や不満、批判のような反応。
これらの反応にとどまる時間を短くすること。
これを私はいつも目指しています(笑)