『違いはあるけど、差はない』
よくそう考えます。
違いは差ではありません。
男と女には違いはあるけど差はないです。
犬や猫と人間は、違いはあるけど差はないです。
差とは同類のモノとモノの数や、時間や距離など、比べると数字で生じる結果です。
よく考えれば「違い」と「差」は似ていないんだけど、勘違いしてしまってる人は多いです。
なぜ、勘違いするのか?
この世界を人生ゲームだとして、
自分のゲームに「差を競う」ルールを取り入れると、差で点数が増減します。
となると、とにかく差を作り出したくなります。
だってその方が楽しいから!
だってその方が苦しいから!
すると、違いは差としてゲームに利用しやすい!と気付きます。
違いを見つけたら(まわりは違いだらけです)すぐに独自ルールで差に置き換え、これで何点入るのか、失うのかを考えます。
この人には、勝ち負けも成功や失敗も、違いではなく差なので、あらゆる違いを発見するたび、差に置き換えて計算します。
繰り返しますが、多くの人はみんな同じルールで遊んでると思い込んでるので、差でゲームを競ってる人は、良かれと思い、
「気をつけて!そこにもここにもあそこにも差があるよ!」とみんなに声をかけます(笑)
損よ、得よ、おっきい、珍しい、マシだよ
この人のゲームは、何もかもを比べないと戦いを勝ち抜けない!という設定なのかも知れません。
ゲームに負けるのは、怖いよ!痛いよ!辛いよ!というオプションルールを付けてる人もいます。
数字ではかれないものの差を見極めるためには、必ず一方のどこかを批判します。
上、下、正しい、間違い、幸せ、不幸、
高い、低い、豊か、貧しい、好き、嫌い
これは二元論という世界観です。
差が曖昧では加点も減点もできないので、はっきりさせたい衝動に駆られます。
だから、結果が気になります。
結果はどうなるのか、どうなる可能性が高いのか、結果はどっち?
ゲームに「差を競う」ルールがある限り、差を求め、結果に執着する考えはなくなりません。
競わなければ、この世界に差は生じません。
実はもともとこの世界にはなにもないのです。
差が必要な人にだけ差は出現します。
忘れないでください。
生じたように見えることは、すべて自分で作ったルールがもとになっています。
人のルールでゲームをさせられていると思うのも、それもまたあなたのルールです。
飽き飽きしてるゲームなら、さぁ、ルール改正を!
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3月モダナークギャラリーの日程です。
3月22日(木曜)23日(金曜)
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他の日は元町のカフェにて鑑定しています。
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