この世界には個人個人に学びがあります。

それと同時に個人が存在する「場」の学びもあります。

家族や学校や会社のようなグループの場の学び、もっと大きな集団なら国という場の学びや、土地、民族、地域、地球の場の学びがあります。


場はそれぞれに波動があり、おそらく場には意図があります。

場ではそこに集うすべての存在の波動が交錯し、反発するように見えてもお互いに繋がり合い、学びを求め続けます。


人には愛を憎しみで学ぶ人もいれば、愛を慈しみで学ぶ人もいます。

信頼を裏切りで、信頼を尽くすことで学ぶ人がいます。

お金の価値を豊かさで、貧困で学ぶ人がいます。


同じ学びをするのに必要なツールや設定を人は波動で選びます。

ときには意識的に、ときには無意識に。

意図するたびに波動は変化します。


そんな個人の学びの方法と同様に、場もそれぞれの波動でツールや設定を選ぶのだと思います。


人が入ったり離れたり、関わったり転じたりしながら場を選ぶように、場もそこに集う個人や存在を選択します。


人が場に馴染んだり、跳ね飛ばされたり、惹きつけられたり締め出されたり。

様々な人と場の関係があります。

そこで起きることがどんなに複雑に見えたとしても、

「出来事は必要だから起きている」

とてもシンプルなものなんだと感じています。


人も場も細分化すればぜんぶ同じ素材でできていて、ここに納まりあっているのだから当たり前なんだけど。

存在してるすべては影響しあっています。

分離されたり、単独であるものはひとつもありません。