ずいぶんおおむかし(笑)結婚した当初、

生まれて初めて関東で暮らしました。

夫は仕事で毎日帰りが遅く、私はひとりで家に居るのがイヤで、自分の仕事が終わってもすぐに家に帰りたくありませんでした。

職場の人とご飯を食べたり、飲んだりして遅くに帰っていました。


みんなと過ごすと楽しいのもあり、帰る時間を延ばし延ばしにしていると、たびたび夫の帰宅時間より遅くなりそうになりました。

そんな時は帰りの電車の中でとても焦っていました。

(夫より先に帰って、体裁を整えていたい気持ちがあったのです)

焦りながらずっと、心の中で夫の悪口を言ってました。

どうして私ばかり家事をしなくちゃいけないのか、どうせわからないくせに、手伝ってくれない、冷たい、自分が遅くなるのは毎日つまらないからだ、孤独だからだ


自分を守るために、私は攻撃をやめませんでした。

夫は敵ではないのに、電車の中で散々夫に向けて攻撃をしました。


自分をゆるさなかったからです。

ちゃんとできない自分、女のくせに、奥さんのくせに、だらしない自分、優しくない自分

本当は自分で自分を滅多刺しにしていました。

そんな自分の攻撃から自分を守るために、

自分の罪悪感から逃れるために、

その反撃を夫に向けていたのです。


身体の中で見えない戦争が行われていました。

撃った弾は自分に当たり、爆撃で痛むのは自分でした。


ある時ふと、あれ?私のことを苛めているのは私なのかな?と気付きました。

だって一度も夫から何か言われたことはなかったから(笑)


結婚生活、女性性、しなければならないことの思い込み

そんな私のルールに私が沿わないから、

できない自分をゆるさず、でも、自分を守りたくて、取っていた行動は人をののしり、否定することでした。


これが、人が他人に対して怒りを感じるときの全貌です。


気付いたあと、自分の罪悪感について考えました。

知らない間に決めていた自分のルールを見直しました。

自分から手伝ってほしいと夫に頼み、夫をゆるしました。

当時はまだわかっていませんでしたが、夫をゆるすと同時に自分をゆるして、自分を罪悪感から解放していたのだと思います。


自分を守るために人は戦い抜こうとします。

でも、よく見てください。

相手は誰ですか?

必ずそれは自分自身です。

その戦いは無意味です。

だって本当はみんな自分をしっかり抱きしめたいだけですから。


自分で作っていたルール、イメージ、理想

「こんなものないんだよ」って自分に言ってあげてください。

そして、そんなルールを作っていた自分も、ゆるしてあげてくださいね。