善人がいるそのつながりで悪人がいる。

喜びがあるそのつながりで悲しみがある。


それぞれが存在するがためにそれぞれがある。


この思考について考えていました。

私の考えでは、それらは別に繋がりあってはいないと感じます。

各々の選択なだけで、それがあるからそれがあるってわけじゃないと思います。


太極図という、陰と陽のエネルギーの動きを捉えた図があります。

あの円の中で確かに陰と陽は離れがたい関係性を持ち、影響しあって渦をつくり、そのエネルギーを永遠に続けていると見えます。


ただ、だからといって、陰のために陽がある、陽のために陰があると捉えてしまうと、そこから抜け出ることは永遠に出来ません。


雨が降って悲しいと思う私に、この雨で喜ぶ人がいるからまぁいいやと「思わせる」必要はないのです。

悲しいことをまずは味わい、そこからただ抜けるだけでいい。


同じように、この私よりもっと悲しい人がいると、比較する必要もないと感じます。

他との比較で自分の視点を変えるのなら、差が永遠に必要となってしまうからです。


「私は悲しいけど、これを喜ぶ人もいる」

この気付きはいいと思います。

自分とは選択の違う人もいるんだなと感じることはいいことです。


でも「今悲しいと感じている自分」とそれは関係はないのです。


もし、そこから抜けるとしたら、

「今の私に雨は降った方がいいのだ」と知っていることだと思います。

私の思うゆだねるとはそういう気持ちです。

私の今日は雨が降った方がいいのだ。

だからなんの心配もいらない。

すべて私のより良い状態をセッティングしてくれる存在にゆだねていよう。

でも悲しさは体験しよう。

雨は悲しい。遠足行きたかったな。運動会したかった。会いたかったよ。

この体験をするがために今日私に雨は降るのだと思うのです。


私は今日、雨を悲しいと体験しています。

そしてなんの心配もない。


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