人を育てることは、とても大切な仕事です。

子どもでも後輩でも、人を育成すること、また育ててもらうことも人には貴重な体験です。


子どもは初めて学ぶことが多いので、育てる人は長い時間付き合って、手伝ってあげて、それができるようになるまで声をかけたり見守ったりします。

これには膨大な時間をかけますよね。

なんの苦労もしなかったと言う人は少ないのではないでしょうか。


そして、ある程度その子が基本的な生活ができるようになれば、その子は今世やると決めてきたことをやります。

それが育てた人、つまり両親がさせたいこととまったく好みが違うってことが多いので、お互いに親子という立場を使った「もしもレッスン」が始まります。


子どもが、

人とのコミュニケーションで悩むこと

欲しいものを手に入れるために必死になること

苦手なことに挑むこと

得意なことをさらに発展させること


泣いたり、嘆いたり、七転八倒を繰り返してもチャレンジをやめない子どもも大勢います。


それは見ていてとても心苦しいけれど、その子が今世なんの苦労もしないと望んでいるわけでなかったら、チャレンジするのは当たり前の選択です。


親に人生かけてその子を育てたのに!という思いがあっても、その子が今世で学びに来たことを阻むことはできません。

そう思う親だって「子育てという苦労をする」と、自分のやると決めたことをやっているのだから(笑)

誰も人がどんな学びを選んでいようと止められませんよね。


「もしも、愛する人と圧倒的な好みの違いをもったら?」

というもしもレッスンの到達地点は、

「それを認められるようになる」ってことだと思います。


親の好みと子どもの好みが一致した時は奇跡です。

それは「やったー!」ってお互いの選択に感謝するタイミングです。

もちろんその場合は違うレッスンが執り行われます(笑)


好みが違う時は「まぁ、そりゃそうだよね」です。

頭の中でポンポンと肩を叩き合って、

「ま、そういうことだから、お互いに学ぼうね」って思ってください。


これを読んでいるあなたが子どもの立場でもそうです。

思い通りの親じゃない!なんて当たり前のことで驚いていないで、違いを認められるまで頑張りましょう。

そのテーマはあなたが選んできた、今世でのもしもレッスンです!