本当、見た、聞いた、真実、現実、体験した、間違いない
あれはズルい、辛い、可哀想、悪いのはあの人、なにもしていないのに、このままでは損だ
なにをどんな風に捉えるのか、それはぜんぶ、私が選択することです。
選択した感覚は、人とは同じではありません。
似ていてもどこかは違っています。手相みたいに(笑)
この世界に様々なことがあり、様々な捉え方があるのは、人はみな違うってことを受け入れるレッスンです。
違ってていいと気付くためのレッスンです。
どんなことも自分と同じように信じさせたり、認識させたり、わからせたりはできません。
「真実はこれだよ!」と近所に触れ回ったり、ネットで書き込んだり、メールを送ったり。
たくさんの人や、知り合いに、自分と同じ認識でいて欲しいと行動することは、回り回って誰かから「こう考えてよね!」と強要されるエネルギーとなって戻ってきます。
もしかして、たった今理不尽に感じていることがあるなら、それは戻ってきたヤツかもです(笑)
じゃ、このレッスンどうしたらいいのか?
人への強要をやめるまでレッスンが続きます。
もうこれはいいことにしよう。
みんな思うことが違っててもいい。
このことで私はなにを気付けばいいだろう。
正しいとされること、正義だとされること、幸せについて、豊かさについて、どんなことでも「こう考えてよ!」と強要することはできないのです。
例えばこのブログを読んで、説教されてるみたいだと感じる人がいたり、誰かを批判してるみたいに思う人がいたとして、それは別にそれでいいのです。
むかしなら、いかにこれは説教ではないか(笑)誰かを批判してると思ったのはどこのこと?など、説明したり聞いてみたりしたと思います。
が、それもまたそれぞれの選択だと思えるようになって来ました(笑)
今世私たちに問われているのは
人がなにをどう捉えているのかを知ることではなく、自分がなにをどう捉えるのかを知ることです。
身につけるまではちょっとしんどいですが(笑)
よくよく考えてみれば、手相のように人の数だけ選択肢が果てしなくあるということなのです。
すばらしー!