先日、友人と交わした会話でとても気になったことがありました。
私たちはこの年齢になっても、我が子のことで様々なことが起きますし、そこから自分で考えたり、友人と話したり、子どもと関わったりします。
そんな子どもについて話しをしている時に、友人が「それは母親が子どもを産んだ責任なんだと思ってる」と言いました。
子どもに対して、ゆっくり話を聞いてあげたり、子どもの考えをまず肯定してあげたり、認めてあげることについて彼女はそう言いました。
実は以前、私は「子どもにこの世は儚いけれど、楽しくて面白さに溢れていることを伝える」
それが世の母親が子どもを産んだ責任なんだと思っていました。
そのために、お母さんである私たちが楽しそうにしていたり、おもしろさを教えたりしなくちゃいけないと思っていました。
さて、これってどうですか?
もうわかりますよね、ヘンって(笑)
今では当時の自分の考えは間違っていたと思っています。
これは、私たちが子どもを産んだ責任でやっていることではありません。
私たち自身がこの世に産まれた責任でやっています。
なので、やっていること、伝えたいことは私たち自身の天命や魂が持つ性質で自分の好みを出しているに過ぎません。
世の母親の責任でも、母親なら当然の責任でもありません。
「母親なら」なんて、そんなものはないのです。
天命は6つ
育てる、導く、仕える、戦う、慈しむ、創る
これらはどれもみな、それぞれが本気で取り組むとても貴重な目標です。
だから、それは人間すべての価値だし、目標だと勘違いしてしまうのです。
「普通はみんな」とか「常識的に」とか「~するべき」などと感じるのはそのためです。
天命と呼ぶほどですからね。
それは自分自身にとって責任を感じるほど大切にしていることなんです。
けれどそれはあくまでも自分にとって大切だというだけです。
子どもにも、自分以外の人にも適応されません。
40代、50代になると、子どもを持っていたり、子どもの教育に関わっていれば、母親として専門家としてまるで人生の先輩のように扱われることが増えます。
だから余計に「〇〇することは子どもを産んだ母親の責任だよ」という言葉はとても怖い言葉になります。
それは間違いです。
〇〇すること、それはただ自分が大切だと思っていることです。
この世に生まれた自分が責任を感じるほど、したいと思っていることです。
それはみんなバラバラです。
話した友人の天命は育てる。
私の天命は導く。
それに自分の魂の色が加わって、2人は子どもへの関わり方が違います。
ただ違うだけ、それだけです。
【知らせ】
さて、明日はモダナークギャラリーでお待ちしています!
どんな方にお会いできるかいつもとても楽しみです。
ギャラリー周辺の素敵なお店もセール中ですから(笑)ついでにフラッとお越しくださいね!ら
7月14日、21日、28日