一階は幼児のフロア。
二階は世間のフロア。
三階は小乗のフロア。
四階が大乗のフロア。
三階から仏教のフロアです。そこに舎利子がいます。
四階はここが事実上の最上階で、観自在菩薩が到達したところです。
さて、昨日は二階のフロアに昇りました。
このフロアでやっと、私にはこんな思いがある、私の大切なことはこれ!と確認します。
一階に居るときは他者が見えたとしても、意識としてはひとりだったので、己の姿は見えませんでした。
ここには他者がいるので、それは鏡のように自分との違いを見せてくれます。
そうして見えた違いによって自分が浮き彫りになり、たくさんの私なるものに気付くことができます。
そして、見つけた私なるものについて、なぜ自分はそう思うのかを考えます。
その答えは出たり出なかったりしますが、楽しんだり苦しんだりしながら自分なりに答えを感じ取っていきます。
自分の環境、教育、生い立ち、容姿、才能etc
色んな理由を思い巡らせやっと、
「なぜ自分はそれを大切に思うのか」という問いの答えを見つけます。
すると、さらに自分にとってその私なるものは特別だと感じていきます。
こうして「自分自身を知る」修行において、二階のフロアでは他者の存在を借りながら人は自己形成、自己確立して行くのです。
ここでは、他者との相違で自分がよりわかるので、さらに他者と自分の違いを見てしまいます。
するとここではこんなことが起きます。
他者と自分の完璧な分離です。
他者と自分の違いを比較することによって自分を感じ取る習慣を身につけてしまった二階では、それを許せるか許せないかのジャッジや、非難や批判する気持ちが生まれます。
自分の個性や感性、人間性、なにかを大切に思うことはいいようにも思えますが、それは「そうはしない人、思わない人」と自分を分けます。
すると二階のフロアの人は「我、我、我」と自我を主張する思いに溢れ出します。
私なるものを持つことは、いったいなにを起こすでしょうか?
二階のフロアに居る自分の思いに強くこだわる人々を見て、三階のフロアに居る舎利子はこう思います。
「二階のフロアは我欲を捨てられない、自分の思いに執着する人々の場所だ」と。
舎利子は三階のフロアに昇ったのでそれが見えたのです。
そして彼は三階フロアで「自己は五蘊(ごうん)なり」という洞察をします。
ここから仏教の教えになっていきます。
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