以前、般若心経を勉強しようと思った時に出会ったサイトにこんなことが書いてありました。
「自分自身を知る」修行のプロセスを高層の建物を昇っていくごとに得られる展望に喩えると、
一階は幼児のフロア。
二階は世間のフロア。
三階は小乗のフロア。
四階が大乗のフロア。
三階から仏教のフロアです。そこに舎利子がいます。
四階はここが事実上の最上階で、観自在菩薩が到達したところです。そこで観自在菩薩は何を観たのか。
このサイトでは「自分自身を知る」過程はそれを修行と呼んでいい、とても大切なことだと教えてくれました。
この高層の建物で考えると、
「あなたのパッションはなに?」と、私は人(世間)にこの質問をしたことをきっかけに、はじめて二階の展望が見えたのだと思います。
二階に昇らなければ自分が一階に居ることに気付けません。
世間があると知って、一階のフロアに居た幼児の自分を知ったのです。
人に対して腹が立ったり、イライラしたり、傷ついたり、失望する。
人は人と関わるとき、またはなにかを起こす人を遠目に見るだけでも、感情が揺さぶられます。
一階のフロアでは、他者が起こした出来事に対して、怖いと思ったり、非常識だと感じ、驚くことで感情が起伏するわけです。
でもどうして一階ではそうなるのでしょうか?
ここは自分の感情がなぜこんなに起伏するのか全然わからない場所です。
実は一階のフロアでは自分以外の人を他者だと眺めてはいますが、自分と姿形が違うことを他者だと思っています。
一階ではまだまだ他者と自分を同一視しているのです。
同一視してるので、自分が大切と感じることは他者にとっても同じはずと考えています。
だから腹が立ちます、傷付きます。同じはずなのに!と。
二階に昇ると、はじめて他者の存在を知ります。
他者は自分とは違うんだなぁとわかります。
そこでは自分と比較できる他者のおかげで、はじめて自分自身を知ります。
「自分自身を知る修行」をするためにやっとここまで来ました(笑)
ただ、ここで終わりではありません。まだ二階です。
さて、二階のフロアではなにが起きるのかな?
【お知らせ】
今月16日から7月末まで毎週金曜日にモダナークギャラリーにてタロットイベントを行います。
ぜひご予約くださいね!