日本語の「愛する」や「許す」など、とてもいい言葉だと思いますが、目の前で起きていることに対しては、ピッタリフィットしないなーと感じることが多々あります。

特に会話の中で「愛そうよ」とか「それ許そう」など、話の流れによってはすごく浮くんですね(笑)


人間は言葉で理解している部分が多いので、なにかを理解したいとき、そこにピッタリな言葉があると「あーやっとわかった!」という感覚になります。


人と話すときはいつでも、わかるー!って思ってもらえるような言葉を使いたいと思っています。


大事なことは、わかった後は言葉なんていらないってことです。

夢の中では一目見ただけで、なんにも説明されなくてもわかっていますよね(笑)

あんな感じで、わかったら言葉は不必要です。


今日は友だちと許すことについて長い時間話しました。

まだ道半ばの私たちなので、ピッタリな言葉がすぐに出るわけではありませんが、話しをしながらあーでもないこーでもないと色々考えました(笑)


おそらく、様々に起きたことを許すには、それぞれにピッタリくる言葉があるのだろうと思います。


でも、どんな言葉や方法を使ったとしても、勝手気ままな答えを出していいということではありません。

算数と同じで、やり方は違っても答えは1つしか出ないのです。

どんな道を歩いても目指す山頂は1つってことです。


許すことは「どこにも罪などないとわかる」ことです。


ここのところ私は何度も「肉体幻想問題」に遭遇しました。

どこにも罪などないは、この肉体幻想問題と繋がっています。


タロットの時にこの話をすると、みなさんとても興味深く聞いてくれます。

きっと心は知ってる話なんだろうと思うのです。

ここに書くには私の技量が足らず、時間がかかりそうですが、しゃべり始めています(笑)

まだまだピッタリな言葉は探せていませんが、このお話はたくさんの人に聞いて欲しいと思っています。