今日は本当にいいお天気でしたね。
「いい天気」「いい天気だね」
それだけの会話で幸せを感じられる日でした。
昨日は久々にお客さんを迎え、総勢10名で夕ご飯を食べました。
中3、高3、大学1年と4年の男子が4人いたので、普段より肉肉したメニューにしました(笑)
一番年長の私のいとこの息子は、小さい頃からずっとなにかあるたび、
「かわいそう、涙が出る」と口にするとても優しい子でした。
でも私は「この子、こんなになんでもかわいそうに思ったら、将来辛すぎるんじゃない?」
と、彼の優しさが弱さににも思えて心配していました。
が、今は違います。心配していません(笑)
彼の天命はきっと慈しみ!
助けてあげたい、哀れに感じる、放っておけない
これらは彼が魂で感じて、今世で学ぶメインテーマです。
むかし、人それぞれに天命があると知らなかった頃、
(そんなに人のことをかわいそうに思っていたら、自分のことができなくなるんじゃない?)
私はそんな風に心配していたのですが、それは天命に慈しみがない、私個人の感覚でした。
もし私が慈しみの気持ちを感じ取り過ぎたら、自分の天命が学べなくので
「それはちょっとダメじゃないの?」とストップをかけたいような感覚になるわけです。
もし同じ慈しみの天命があれば「そうそう、気持ちわかる」って思ったはずです。
天命の仕組みがわかってから久々に彼に会ったので、おじいちゃんの飼ってた犬が亡くなったこと、弟がフラれたこと、携帯の使い方がよくわかっていない父親のことなど、数々の涙が出そうな話を彼から聞いても
「それでいい!助けてあげて!」と笑って応援できました(笑)
「でもね、もし人にあなたが考えるような思いやりがなかったり、優しくないと感じることがあっても、その人を否定したり傷つかなくていいよ。
その人はその人で今世でやると決めた自分の学びで必死なだけだからね」
彼に「あんまり色んなことをかわいそうに思わなくていいよ」と言っていた、昔の私とまったく変わりました(笑)
もう少しで彼の天命への熱意を妨げるところでした。
自分の感覚と違うだけで、人の邪魔をしてはいけないなーと痛感しました。
自分と違う人がいてくれるからこそ学びは深まりますね。
反省ができるとてもうれしい日でした。