もしかしてこの世の中には罰ってないのかなぁ?と最近考えています。

自分のことを反省しがちな人は、嫌だったり辛いと感じることが起きると
「これは罰だね」と思ったりして、より深く反省したりします。
もちろん深く反省するのは別にいいんです(笑)好きなように反省してオッケー。

むかしは「そんなことをしたらバチが当たるよ!」というセリフをよく聞いていましたよね。
でも罰とかバチとか呼んでいるのはただ「起きたこと」に対して自分の好みでつけた呼び方なのかな?と思っています。

私の好みとしては「お試し」
「起きたこと」はただただ気づかせるためだけのお試し。

辛いことに対してお試しって軽すぎますか?
出来事によっては罰とかバチのほうが感情的にしっくりくる呼び方かもしれません。
でも罰やバチって言葉を使ってしまうと、悪いことが起きた時にだけ使いがちなので、嫌なことと良いことと価値の差があると思い込んでしまう気がするんです。

嫌だと感じる、良いと感じる。
どちらも同じ価値なのです。そしてどっちの時もお試しされています。
気づくチャンスはずーっと起き続けています。

嫌なことが起きた時に、それを罰って呼んでしまうと、
「これって恵なの?」ってひっくり返しにくいのでね(笑)
何が起きても「なんのお試しよ〜」と、まずは受け取ってみるとその先に向ける思考の選択肢が多くなります。

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