「正しいこと」「間違っていること」を分ける判断基準は、時代や、置かれている立場によって全く違います。
今、私が正しいと信じていることが、未来には大きな間違いであったと扱われてしまうことだってあり得ます。

そして同時代を生きている者同士であっても、人の考えや価値観はそれぞれみなバラバラです。

昨日はレイキ練習会だったのですが、ひとりの女性が、ある人に対する気持ちをこう話しました。
「私は嘘をつかれることが大嫌いなので、間違ったら嘘をつかないで正直に謝ってほしいんです」

するとこんな話しを聞かせてもらいました。
「あなたが正直でいたいように、その人は上手に嘘をつきたい魂だとしたら、2人の希望は種類が違うけれど同じ希望です」
「もしあなたがその人に正直になって!と怒るなら、その人があなたにもっと嘘をついて!と怒るのと同じです」
「自分が正直でいることが好きで、それを許してもらってるなら、その人が嘘をつきたいと思ってることも許してあげないといけないんです」

「私は嘘をつくことが嫌いだな、嘘をつかれることはものすごく嫌いだな、私は正直でいることが好きなんだ」
これを知ったら、この話は終わりです。
「あの人はどうして嘘をつくんだろう」と考えても答えはわかりません。
すべては自分を知るための出来事です。
人のことを知るための出来事ではないのです。

これを聞いた女性は笑いながらこう言いました。
「あーもうなんか比叡山を走りたくなってきました!」

ま、そのくらいの気持ちになりますよね(笑)

人に自分の好み通りに変わってほしいと思うのはさらなる欲望です。
人がいかに自分と違うのかを繰り返し批判するのは、時には悪口になってしまう場合があります。

こういうお話が聞けるのもレイキ練習会の醍醐味です。
あなたも走りたくなりましたか?(笑)