読んでいる本の中で「手放す」とはどういうことか書いてありました。
人の左脳(分析的頭脳)はおサルの頭脳といわれているそうです。
ジャングルでおサルを捕まえるには、果物を入れた箱におサルが手を入れられるだけの小さな穴を開けて罠を仕掛けます。
すると箱の中の果物を握ると、それを手放さない限りおサルは手を引き抜くことができません。
でも大多数のおサルはそうなった時に、絶対に果物を手放さないのです。
このお話は、左脳的行動の人の特徴をあらわしていて、
一度掴んだ「考え方という果物」を握りしめたまま、
「手が出ないよー」と泣いたり、怒ったり、悲観的になりながら、一生を過ごしてしまうかもしれないよ!という例え話です。
新しい体感や、もっと大きな意識感覚を得るには、
今まで考えてきたこと(分析してたことや決めてること)をパッと手放してみよう!ということです。
「こうする時にはこのやり方だよね」
「これはこうしないとおかしいよね」
「このやり方でずっとやって来たから」
まぁ(笑)こんな風に、自分のやり方(手順)しかできないってことにならないようにねってことでしょうか。
そして、もう少し厄介な「手放し」はこれ。
何かを成し遂げたいとき、
「あきらめる」「行わない」ことを実践できたとき、通常の意識の手順から退くことができる。
という手放し。
うーん、この辺りの考え方は、もうちょっとしっくりくるまで考えたいと思っています(笑)
こだわらない。
どちらもいい。
大いなる宇宙に任せる。
こんなところが、今の私の手放すって感じ。
色んな不思議なことを体験すると、欲求としては「わかりたい」と求めてしまうのですけどね。
でもそれにこだわらないようになれば、全く違う感覚に気付けるようになるかも知れません。
まずは「わかりたい」を手放してみようと思います。
人の左脳(分析的頭脳)はおサルの頭脳といわれているそうです。
ジャングルでおサルを捕まえるには、果物を入れた箱におサルが手を入れられるだけの小さな穴を開けて罠を仕掛けます。
すると箱の中の果物を握ると、それを手放さない限りおサルは手を引き抜くことができません。
でも大多数のおサルはそうなった時に、絶対に果物を手放さないのです。
このお話は、左脳的行動の人の特徴をあらわしていて、
一度掴んだ「考え方という果物」を握りしめたまま、
「手が出ないよー」と泣いたり、怒ったり、悲観的になりながら、一生を過ごしてしまうかもしれないよ!という例え話です。
新しい体感や、もっと大きな意識感覚を得るには、
今まで考えてきたこと(分析してたことや決めてること)をパッと手放してみよう!ということです。
「こうする時にはこのやり方だよね」
「これはこうしないとおかしいよね」
「このやり方でずっとやって来たから」
まぁ(笑)こんな風に、自分のやり方(手順)しかできないってことにならないようにねってことでしょうか。
そして、もう少し厄介な「手放し」はこれ。
何かを成し遂げたいとき、
「あきらめる」「行わない」ことを実践できたとき、通常の意識の手順から退くことができる。
という手放し。
うーん、この辺りの考え方は、もうちょっとしっくりくるまで考えたいと思っています(笑)
こだわらない。
どちらもいい。
大いなる宇宙に任せる。
こんなところが、今の私の手放すって感じ。
色んな不思議なことを体験すると、欲求としては「わかりたい」と求めてしまうのですけどね。
でもそれにこだわらないようになれば、全く違う感覚に気付けるようになるかも知れません。
まずは「わかりたい」を手放してみようと思います。