「私はこうである」
「あれはこうなんだ」
「わかった」

断定すると言葉としては強めですから、ひとはなんだかこのように発言する人を信じたりします。

おおかたの時間、ひとは不安解消のために脳を使うようで、強い物言いの人の方が「なんか安心」と思うのかもしれません。

そして自分で考えるのをサボり、強そうな人の考えをコピーして、
自分でも「これはこうだ」と断定してしまうところがありますよね(笑)

そうなるとなかなか人の脳はそれについて違う視点でもう一度考えたり、思い直したりしてみようとはならないかもしれません。

「私は今はこう思っています」
という考えを持って、いろんな角度からモノゴトを見てみると、
「さっきまであんな風に考えてたけど、今は違うなぁ」
というような、軽やかな場所移動が可能です。

優柔不断などという(笑)言葉があるのですが、あれはまた別のさまを意味しているのですが、
優しく柔らかく考えて、その考えからもスッと離れてみることができる。
そして決してわかった!とならない。つまり決めない。

これはリラックスしている状態でやっとできることだろうと思うのです。

強い物言いに併せて、立場に肩書きがついている人の言うことを、私たちはつい簡単に信じてしまい、自分で考えることをサボるのですが、
できるだけ私自身の「今はこう思う」を考えたいと思っています。

様々な人に出会ったり、体験したりするのは、その都度「今はどう思う?」と自分で考えるチャンスを与えるためかなと思います。

人間関係も「これはこうでしょー」と決めつけて始めるより、
「今はどう思う?わたし?」と自問自答しながら、考えの立ち位置を行ったり来たりして、その道すがらで人はどんどん選択肢を増やしていくのだと思います。