今まであまりうまく書けそうにないので、きちんと書かなかったのですが、
去年レイキの伝授を受けてから、スーッと考えがまとまったことがありました。

それはこんなことです。

あらゆる経験は「魂が震える」という目的のために存在する。

この世界で経験することは全て、魂が震えることが目的なので、喜びを感じても、悲しみを感じても魂は震えるようになっています。
なので、その目的に対して、喜びも悲しみも同じ価値です。

愛することも憎むことも、成功も失敗も、達成も崩壊も、数々の相反するもの全て、ともに魂を震わせることに対して「等価値」です。

人が経験することは、人の脳の中でいいとか悪いというような感情を生むのですが、魂を震わせることができるという価値に差はないのです。

忘れてるだけで、私たちはより丸くなりたくて生まれて来ましたから、この世界はただただ、魂が震える機会が多ければ多いほどいいという設定なのです(親切設定)

不思議ですが「あの人は最近丸くなったねぇ」とかって言いますね(笑)

だから、どんな経験をしても魂が震えるように、どちらに転んでもいいようにと、善と悪など、いつも反対のことが用意されています。

私はこの反対の意味のことを
「対極にあること」と呼んでいます。

その対極にある事柄が、四方八方から中心(魂)に向かい、まるで毛糸で球を作っていくように折重なって行く。

私のイメージする震えながら完全な球体を目指している魂はそんな感じで出来上がって行きます。

私は「すべては等価値だ」と考えついた時、びっくりしました。
いいことも、悪いことも等価値。
それまでは「いいことの方が価値が高い」と思っていましたから、びっくりしたのです。

人によく見えたり、得をしたり、恵まれたり…それらがいいと思ってるのは私の勝手な思い込みでした。
対極に存在することはすべて等価値でした。

きっと、あまり上手く書けていないと思いますが、
この「対極に存在することはすべて等価値である」という考えが、私の思考、
「どっちでもいい、どっちともいい」
そう考える基礎となっています。
なので一度はちゃんとお伝えしときたかったのです。

一回目のトライです。