安物買いの銭失いどころか命失い・・・もあり得る。
いや、企業努力による値下げは良いと思うし、高い料金に胡坐をかかれるのも嫌だ。
しかし、いくら制度やシステムをいじくりまわしたところで、こればっかりはどうしようもない。
最終的には客、利用者が判断してべらぼうに高い、もしくは異常に安いのは淘汰させていくしかない。
安いバス乗りますか?
安い食品買いますか?
買うし、乗るし・・・
母親が肉を買ってきて、近所の農家から直接野菜も購入し料理を作る。
肉が痛んでるかどうかは母親が直に扱って判断できるし、近所の農家も悪品を回したりしないだろう。
それも母親、妻、自分などが判断できる。
しかし、加工されたものはもうどうしようもない。
廃棄カツもそのままのパッケージで売られていたからわかったけど、あれをさらにミンチにしてハンバーグなんかに加工されてたらもうわからん。
てか、使用に耐えうる食肉三分の二と腐ってない廃棄肉三分の一を混ぜて餃子やシュウマイ、ミートボールなんかに加工されても判らんのかも知れん。
食えるのに廃棄するなんてのは勿体ないとも思う反面、それを当たり前のように使いまわすのも嫌な気がする。
我儘な消費者である。
何事も規模が小さければ逆に目が届くからいいのだけれど、大量消費、大量生産の時代には無理がある。
望ましいのは、チェーン店にはいかず個人商店が元気になる社会か。
一日百人、千人の相手なんてしなくていい、数十人を相手にやっていける需要と供給のバランスで、しかもどちらも食っていける儲けが出るような価格帯。
無理なのかな。
嗜好が多種多様になればそういうのもイケそうな気がするが・・・
江戸時代の職業の多さには目を見張るものがある。
思い浮かんだ事を書いた。