こんにちは!

バンコク滞在3ヶ月。

まだまだ働きたい新人駐妻のまきこです。

 

ご訪問いただきありがとうございます。

 

※はじめましての方へ自己紹介

 

先日の「働きたい駐妻集まれー」に

コメントやメッセージありがとうございます。

MYコンパスアカデミーでお世話になっている

岩橋ひかりさんがリブログまでしてくれました!

 

また詳細お知らせしますね!

 

さて、私が駐妻になるまでのストーリー。

第4弾です。あと1話で終わりの予定です。

 

駐妻になるの!?①~準備万端の育休~

駐妻になるの!?②~突然の辞令~

駐妻になるの!?③~仕事復帰~

 

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6月。
夫は遂にバンコクへ出発。
私と娘は私の実家がある千葉へ引っ越し。

 

浜松に残ることもできたけれど、
ワーママ一人で生活は難しいと
実家へ引っ越すことにした。

 

私の勤務は、
名古屋から都内へ異動が認められた。
これもイレギュラーすぎる対応を
してくれた会社に感謝しかない。


娘の浜松での保育園最後の日。
2ヶ月しか通うことができなかったけど
お別れの時に私が涙ポロリ。
本当にいい保育園だった。

 

一方、夫の出発には涙なし。笑


こうして家族別々の新しい生活が6月に始まった。
 

 
 
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(新幹線より最後の富士山)


私の実家は千葉の田んぼだらけの田舎なので
保育園は問題なく入園できたことは
とてもありがたかった。

 

そして、また通勤は長距離。。。
千葉といっても最寄り駅から
都内まで特急で1時間。
むしろ最寄り駅まで車で30分。

 

名古屋勤務の時よりも
勤務時間は短くなってしまった。

 

0歳児クラスの娘を
朝7時の開園と同時に時間外保育の部屋へ預けて
夕方18時半前に時間外の部屋へ迎えに行く。
保育園内で一番長く
預けられている子だったかもしれない。
一番小さいのに。

 

そこまでしてなぜ働いたのか。

 

ワーママ生活を日本でしてみたかった
という理由もあるが、
一番はただ、ただ、
『仕事をしていないことが怖かった』から。

 

仕事をせずに何をしたらいいのか、
仕事をしなかったら自分は社会から離れてしまう。
ずっと仕事1番でやってきた自分から仕事を
取ってしまうことの恐怖の方が
通勤やワーママ生活の体験さよりも上回っていた。


そして、千葉で私は
本当のワーママ生活の大変さを味わう。


浜松での2ヶ月の保育園生活では
ほぼ病気なく元気に過ごした娘だったが
千葉に来てからは毎月1,2回は熱を出した。

 

実家に生活していたが、
既に高齢の両親に
育児の面で頼ることはできず
娘が病気になれば私が100%仕事を休む。
月末になるとよく熱を出す娘に
ドキドキしながらの勤務だった。

 

 

 

 

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慌ただしく過ぎる毎日の中で
ようやくなぜ自分がバンコクへ行きたくないのか
という気持ちに向き合うことができた。

 

正直、復帰前に仕事を続けるか悩んでいたし、
海外で生活することは全然嫌じゃない私。

 

バンコクで生活すること自体は
全くネガティブではなくうれしいくらい。

でもどうしても受け入れられない、行きたくない。

 

考える中でわかった。

 

私が嫌だったのは


自分の意志ではない誰かが決めたことで
自分の人生が大きく動かされること。


それだった。

 

ずっと自分の意思を大切に
いろいろな場面で進む方向を選択をしてきた。
でも今回は全く私の意志とは関係ないところで
選択肢なく決められた未来に進む。

それがどうしても受け入れられなかった。


どうしていいのかわからなかった。
だから私は行きたくないんだと
はっきり認識した。

 

でも、認識したことろで
どうすべきか答えは出ない。

 

そうして、夏が過ぎ、秋ごろから
いよいよ私と娘の渡泰準備が始まってしまう。

 

 

 

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次回→

駐妻になるの!?⑤~自分で決めたこと~