こんにちは!

バンコク在住まもなく3か月。

まだまだ働きたい新人駐妻のまきこです。

 

ご訪問いただきありがとうございます。

 

※はじめましての方へ自己紹介

 

今日から何回かに分けて、

私が駐妻になると決めるまでのストーリーを

書いていきたいと思います。

 

正直、本当に本当に悩んで

めちゃ泣いたりもしました。

それでも私は今バンコクにいます。

 

まだ

「駐妻になってよかった!バンコクに来てよかった!」

と言えないのが正直なところですが

自分の頭の整理も含めて書いていきたいと思います。

 

お付き合いください!

 

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2014年12月。
思いがけずの妊娠発覚。

 

悪阻症状がほぼなかった私は

結婚してから開始した

浜松―横浜(週1東京)の新幹線通勤を
妊婦になっても続けていました。

 

相変わらず仕事は忙しいけど楽しい!


そんな思いのまま35週目まで仕事。
そして、38週で出産。
満喫したかった出産前の産休はあえなく
2週間半ほどで終了。。。

 

頭の形がとてもきれいで
夜寝るのがとーっても苦手な
元気娘を出産しました。

 

 

妊娠が発覚したときから
「次の4月には保育園入園!」と
なんの迷いもなく決めていた私。

 

預けるのがかわいそうとか
そんな罪悪感は正直全くなく、
預けることを悩む人の話を聞くと
私は母親としての愛情が足りないのではないかと
思ってしまうくらい。。。

 

 

※保育園・幼稚園へ預ける私の想いはこちら

 


育休中に私が決めていたのは
1日を保育園と同じスケジュールで過ごすこと

 

 

朝起きる時間、ごはん、おやつの時間、
お昼寝の時間など基本的な保育園のスケジュールに
合わせて過ごしていました。

 

最初からそういう生活をしていれば
娘もそういうものと思って
無理なく保育園生活になじめるのではないかと
思ったからです。

 

復帰したら早く出勤しなくてはいけなくなるのは
わかっていたので朝はお父さんの担当。
育休中も起きてから、娘の支度は
できるだけお父さんにしてもらっていました。

 

それもあってか娘はお父さん大好きです。

 

 

そして肝心の保育園。
私が住んでいた静岡県浜松市は
東京23区内にも負けない激戦区。

 

通える範囲の保育園は全て見学し
通いたい保育園の園庭開放に参加し、
たくさん情報収集し、
入園の書類をもらうだけのために1時間半
区役所の廊下で子連れで待ち、
ママ友と励まし合い、
なんとか第一志望の保育園の入園許可を
手に入れました。


保育園以外にも
病児保育の手配、
ファミリーサポートセンターの手配、
シッターさんの手配など
近くに頼れる家族がいない私たちに
できる最大限の準備をしました。

 

そして、保育園からの呼び出しや
急な発熱の時、夫とどう連携をとって
対応するのかのシュミレーションも
何度もしました。


こうやって、振り返ると
私の育休は復帰のための準備時間
そのものだったなーと振り返ります。

 

娘も私も夫もそれぞれの場所で
おもいっきりやりたいことができるように
そんな思いで準備した日々でした。

 

そして、私の仕事復帰について。
さすがに横浜までの新幹線通勤は
厳しいなと思っていた矢先に
私の復帰のタイミングで名古屋に
新しい勤務先ができることが決まります。
(ラッキー!!!)
また新幹線通勤ではありましたが
片道1時間弱の通勤時間に。


こんな調子で大きな問題なく
順調に復帰の準備をしていた2016年1月。

 

夫がTOEICの勉強を始めます。
これが、私たちの運命を大きく変えることに
なったんです。。。。

 

 

次回→駐妻になるの!?②~突然の辞令~