(3.11関連のブログです。無理には読まないでくださいね。
思い出したくない方、心が沈む方は遠慮なくここで閉じてください)












水が飲める
電気がつく
火が扱える
ご飯を食べられる
トイレにいける
お風呂に入れる
ぐっすり眠れる

こういった日常を過ごせるだけで本当に幸せを感じます。
平穏な日々に感謝。




「幸せ」とか「感謝」ってワードを頻繁にだすと
笑われるのは知ってはいるんですよ。
「やたらと感謝、感謝って言う人ってなんだかヘン、気持ち悪い、良い人ぶっている、宗教?」みたいに揶揄されやすい。
まぁしかたないです。


しかしながら、今年は皆さんもこの「感謝したくなる気持ち」にご理解いただけるのではないでしょうか。

【人と人が会ってお喋りをする】
【心許せる人とお酒を飲みかわす】
【好きな人と長時間共に同じ空間で過ごす】


日本でいう「三密」が感染拡大につながると専門家から提唱された、2020年の新型コロナウィルス感染流行。

(上の事例は絶対しちゃダメ!ではないですよ。
自粛警察ではないのでご理解ください。ストレス発散や店舗支援も大事)

感染拡大予防には、マスクをし続けて飛沫を飛ばさない行動を心がけ
人となるべく会わないという我慢が必要なようだと我々一般市民に浸透してきた時
「寂しいな、苦しいな、暇だな」って感じた方、いらっしゃいますよね?

感じた方は、これまでの日常がいかに幸せだったのか…痛感したと思います。

人って失って初めて有り難さに感謝するんですよね。




東日本大震災直後に感じだ日常の幸せ。
それは納豆ご飯でした。


私は当時仙台放送の本社で東日本大震災に遭いましたが
家は流されていないし
家族と二度と会えなくなったわけではないし
仕事を失ったわけではないし
いわゆる「被災者」ではないのです。


震災報道で駆けまわっていて、会社の床で雑魚寝し
お風呂も入らずゆっくり食事もままならない中で
震災から一週間後…
自宅周辺の電気が開通したときめちゃくちゃホッと安心したのを覚えています。


そしてオール電化の知人のマンションに
「お風呂に入れるからおいで」と誘っていただき
仙台放送の同僚たち数人でお風呂を借りに行ったときのこと。
「まだまだ仙台もお店が開いてるところ少ないけれどかき集めたよ」
と食事を用意してくれたその方。

寒い中でスーパーに長時間並んでくださった優しさに感謝しつつ
私が大好きな納豆をどこからか手に入れてくださっていたので驚きました。


後輩もいたから恥ずかしくて泣けなかったけれど
(そこは素直になればいいのにね私)
自分なんていわゆる「被災者」ではなくともちょっと心がまいっているな、と当時実感したのを覚えています。

それでもこの「納豆ご飯」が少し日常を取り戻せたような気がして
心身ともにほっと安心し、幸せを感じた瞬間で
納豆ご飯を食べられるこれまでの日常はなんと平和で有り難かったのか…と痛感していました。





10年前の写真は画質が悪いのですが大好きな納豆ご飯となめこのお味噌汁は、小さな幸せを感じた思い出画像です。




毎年3月になると3.11関連のことを考えたりアメブロに書いたりしておりますが
10年前も今も自分の無力さ非力さをずっと感じています。

それでも、私には私ができる範囲でと思っています。
このアメブロにもたまに登場していた、名取市のママさんから今朝ご丁寧な御礼のLINEがきたり
上記で書いた納豆ご飯を提供してくれた知人から電話がきたり。
10年経ったからこその寄り添い方があるのかなと思いました。

報道に取り上げられないような小さな声を届ける、これぐらいしかできませんけれどね。

支援や応援は細く長く…
「できる人が できる事を できる時に」。


今日はテレビやインターネットで東北関連のニュース特番を見続け
東日本大震災のその後を知る一日としたいと思います。


死   者  1万9747人
行方不明者   2556人
(消防庁2021年3月1日現在)
避難生活中の方 4万1241人
(NHKニュースより)

最後になりましたが
ご遺族の方にお悔やみ申し上げますと共に
行方不明の方が少しも早く見つかりますように。

心に傷を負った方、仕事や故郷・財産をなくされた方、避難生活を余儀なくされている方…
復興にゴールはないかもしれませんが問題解決に向かい、心が軽くなれる日常がやってきますように。




私がなぜ東日本大震災について語っているのかは、こちらどうぞ。
震災直後の体験記もリンク貼っています↓



最後までお読みいただきありがとうございます。
また明日からは楽しい事だけをアメブロに書いていきますので今日だけはお許しください。