画像は、銀座和光の一階です。
14:46には黙祷を捧げたいと思います。
あれから8年。
忘れたい記憶、忘れられない記憶。
想いも、現状も様々でしょうね。
宮城県名取市に8年前住んでいらした知人は【今でも通りがかるコンビニに、当時津波で流れてきた瓦礫とご遺体を、今でも鮮明に思い出す】といった内容のことをご自身のSNSで呟かれていて、心がギュッとなりました。
仕事柄、どうしてもこの日は【震災特番を見る日】になってしまいますが
地元の方々は『思い出したくないから』とテレビやネットでも震災関連番組や記事を見ないように意識する人が多いみたいです。
それは仕方ないことですよね。
あの大震災をこれからの防災、減災に繋げていくのは被災地以外の我々の役割ということでしょうか。
⬆︎当時のことを思い出したくない方は見ない方がよいと思います。
ただ、この日経サイトは震災遺構の様子や、月日の経過と共に被災地の変化がよくまとまっていて見やすいデータだな、と思ったので貼っておきました。
※
昨日、墨田区付近へおでかけしていたら
公立中学校にむかって数分間ずっと目を閉じて手を合わせて拝んでいるおじいさんがいました。
「なんだろう…」と思ったものの声を掛けることはしませんでしたが
勝手ながら、昨日は【東京大空襲から74年】という日。
もしかしたらその被災者への弔いだったのか、それともおじいさんも東京大空襲の経験者だったのかな…と思いました。
米軍の爆撃機B29約300機が「焼夷(しょうい)弾」約1700トン分を2時間半落とし続け、現在の墨田、江東、台東区はほぼ壊滅だったという東京大空襲。
ごくたまーにテレビや新聞でその当時を振り返る特集が組まれるものの、時の経過と共に忘れられていたり記憶が薄れていたりはします。(それは平和の象徴ではありますが)
戦争中のことを語る方は減る一方でしょうし、ゆくゆくは東日本大震災のことを語る人も減るのでしょう。
テレビで特集番組を放送することも無くなっていく時がやってくるかもしれません。
とはいえ、戦争は繰り返してはならないし、天災は避けられないいつかやってくるもの。
どちらも昔の経験を活かしていくべきだと思うので、戦争・震災遺構やデータから何かしら学びを得て対策を練る行く事は止めてはいけないのでは、と感じます。
もちろん、心に傷を抱えた方は無理のない範囲でね。
【出来る人が、出来ることを、出来る時に】