こんにちは。まっきーのブログにお越しいただき、ありがとうございます。
前回からの[祈りの方法]の続きです。
例えば、身近な人の病気や就職などについて、一時期「治りますように」とか「合格しますように」とお祈りした方が良いのかどうかを考えていた時期があります。
日頃、祈っている私なのだから私にとって大切な人たちの大事な時期に、その人たちの祈願をした方がいいのではないかと思っていました。
ただ直接的な「〜しますように」と言う祈り方には違和感がありました。
違和感は間違っていることを示しているのは想像出来ましたが、しっくりする祈り方を見出せずに「答えが欲しい」と強く思うようになりました。
そんなある日、祈り+瞑想中に「有名企業に受かることが大切なのか、それとも、その人の人生において良い経験が出来る方を望むのか?」と問われました。
間違いなく「その人の人生にとって、良い経験が出来ること」だと確信した時、病気の人への祈りの答えも同時に出ていました。
私が勝手に「治りますように」と祈るのは、やはり違うのだと感じました。
それは「その人の人生にとって、常にベストなことが起きている」はずだからです。
その人が学ぶ必要があって、罹患した病気などの意味ある出来事を私が勝手に「悪いこと」とジャッジして「治りますように」と祈ることは、お節介以外の何物でもないと理解しました。
それ以降、窮地に陥っている人がいる時には「この人にとって、ベストな状態になりますように」と違和感なく祈ることが出来るようになったことを含めて、私なりの「祈り」についてお話しさせていただきました。
数多くのブログがある中、私のブログを読んで下さっていることに感謝しています。
今日も、あなた自身の中にある幸せのかけらを感じることが出来ますように。
まっきーから愛を込めて