思いかえしてます。
今回のコトの一つのきっかけは、

娘のピアノの発表会だと…

薄々気付いてたから。

でも、それはきっかけに過ぎず、

掘り下げればもっともっと出てくるハズ。







どこかで書いたけど、また、

過去の記憶を掘り下げてみる。





中学生の頃、ワタシの夢は

JAZZピアニストだった。

母がモダンとJAZZのダンサーで、

ワタシが産まれる前にはコンクールで

日本一になった。

だから、家では幼い頃から当たり前の

ようにJAZZの音楽がかかっていたし、

よく、子どものワタシもライブに

行ったりしていた。

そこの影響が一番強いと思う。



だから、中学卒業と同時にワタシは

渡米した。

JAZZピアニストになりたくて。

当時はクラシックを習っていたけど、

クラシックはどれにも精通してる。

それを元に本場で習ってピアニストに

なることしか頭になかった。




渡米して半年後、帰国。

冬休みだからと聞かされてたけど、

違った。

当時の義父の経営する会社が倒産

していたからだ。



ワタシが渡米する前から傾いていたと

後から知らされた。

だったら、行かせてくれるな!!!

みんな同級生は、普通に高校一年生

してるのに、戻ってきたって、

ワタシの行く場所なんてない。

新たに受験して、友人達が高校二年生

となるところに一年生として行くしか

方法もない。




絶望した。




だから、唯一、部屋に篭り、

ピアノを弾くことが、ワタシの心の支え

だった。


帰国から一ヶ月間、とにかく中一からの勉強を始め、ピアノに没頭するだけの日々を送った。
(アメリカに向けての受験勉強しか中学時代やってなかったから、初めて、二ヶ月で高校を決めて受験しなければいけなかった)





一ヶ月が経ち、知らされた。


「明日、ピアノ、なくなるから。ごめん。」




頭が真っ白ってこう言うことか。



何もかも、15才のワタシは奪われた。

学校も

唯一の支えであるピアノも

その後、家族も家もお金も親戚も


失った。





執行官というオジサンが

引越し業者らしき人たちを連れて来て、

テレビやオーディオセット、

ワイングラスが飾られてた飾り棚、

ダイニングテーブル、オーブンレンジ、

そしてピアノを

持って行ってしまった。

25畳あるリビングがとても淋しかった。




大した額にもならないのに、

競売にかけるために、

ぜんぶ持って行った。





その日から、

ピアノを弾くことも

楽譜を見ることも

ワタシはワタシに禁止した。


余りにも悔しくて、悲しくて、切なくて

怒りのやり場がなかった。









今週末、そんな母の生い立ちなんかは

もちろん知らない、

娘のピアノの発表会がある。


やりたくてもできなかった。

そんな思いが、今になって蘇る。



娘は練習しない。けど、

ピアノの先生が大好きだからと

通ってる。


練習しない娘。

それを見ると、

ワタシの禁止してた思いが深かったのか、

娘の練習にも頭に血が上る。



ワタシ、やりたくてもできなかったのに。






これが一つのきっかけだと思っている。