「一期一会」を自然に感じる場所といえば、
茶道教室です。
時の流れや、雑音を忘れさせてくれる代わりに、
「一期一会」はもちろん、
「和敬清寂」という言葉を思い起こさせてくれます。
「和」 主人と客が、互いに心を開いて仲良くする。
「敬」 尊敬の「敬」で、互いに敬いあう。
「清」 目に見えるだけの清らかさではなく、心の中も清らかである。
「寂」 どんなときにも動じない心。
です。
これは、
千利休の茶道の心得「四規七則」の四規ですが、
七則は、
①「茶は服のよきように点てる」
「服」とは、
「飲むこと」ですが、
ここで言う「服のよきよう」とは、
飲んだ人にとって、
「調度いい加減」ということになります。
また、
舌の先で、美味しいと感じるだけでなく、
「心をこめる」につきるということですね。
②「炭は湯の沸くように置く」
茶の湯では、
お湯を沸かすための火加減と、お湯の沸き加減に、
特に気を配らなければならないとも言われます。
「ただ火をおこせばいいのではなく、
しっかりと要点を押さえて
念入りに、よく考えながら準備するということです。
また、
広口の釜から立ちのぼる湯気も、
何よりのご馳走にもなりますし、
筒茶碗での一服は、
心の底からポカポカにしてくれます。
暖房のないお部屋でも、
この湯気が、
視覚からも温めてくれました。
③「冬は暖かく、夏は涼しく」
暖房や冷房に頼ってしまう現代ですが、
自然に対抗するより、
自然に融和して、四季の移ろいの偉大な恵みを、
分かち合う気持ちの中から、
互いのさりげない気遣いが生かされてくるものです。
「暖」や「涼」を、
音や色から感じさせたり、
道具の取りあわせで表現します。
さらに、
季節感溢れるお菓子を出す等、
自然の中に自分をとけこませるような工夫をします。
今回は、
節分時ということで、
先生が、
京都『鶴屋』さんの「厄払い」を出して下さいました。
節分枡の形をしたお餅の和菓子でしたが、
中身は、
「きなこの餡」でした。
初めて食べましたが、
「こんな美味しいきなこ餡のお餅、食べたことない」ってほど、
ハマッてしまいました。
美味しくて、「厄払い」にもなるなんて、
最高です。
さすが先生。
節分時期にしかお目にかかれない超レアものですから、
なんて運がいいんだろうって思います。
この運を無駄にしないようにしなきゃです。
因みに、
厄払いに使われる大豆は、
大豆を呪術に使った漢民族の古風を今に伝えたものとも言われてます。
④「花は野にあるように入れる」
「花は自然に入れなさい」ということですが、
「自然そのままに」再現するというのではなく、
一輪の花に、
野に咲く花の美しさと、
自然から与えられた命の尊さを盛りこもうとすることに、
真の意味があるとのことです。
今回のお花は、
「雪間草」=「蕗の薹」でしたが、
そろそろ春が近づいてるんだって、
春の訪れを感じさせてくれました。
⑤「刻限は早めに」
「時間はゆとりを持って早めに」という意味ですが、
ゆとりとは、
時間を尊重することです。
自分がゆったりした気持ちになるだけでなく、
相手の時間を大切にすることにもなります。
その時はじめて、
主人と客が心を開いて向かいあうことができるんですね。
やっぱり、
心にゆとりを持ちたいですね。
⑥「雨が降らずとも雨具の用意」
どんな時にも落ちついて行動できる心の準備と、実際の用意をすることが、
茶道をする人の心がけであり、
どんな時にも、
適切に応じられるような自由で素直なやわらかい心を持つことですね。
⑦「相客に心せよ」
「相客」というのは、
一緒の客になった人のことです。
正客の座に座っている人も、
末客の席にいる人も、
互いを尊重しあい、
楽しい時を過ごすようにしなさいと、
利休は説いています。
お茶を介して、
同席するお客様への心遣いですね。
主人だけでなく、
空間を同じくする人達の心の動きを察し、
相手に迷惑をかけず、
労わる心が自然に発揮される場が、
お茶の席でもあります。
長くなりましたが、
おさらいすると、
心をこめ、
本質を見極め、
季節感を忘れず、
命を尊び、
ゆとりとやわらかい心を持ち、
互いに尊重しあうということ。
そんな忘れてはならないことがたくさん詰まった茶道です。
時間がないからこそ、
お茶の時間を無理にでも作ろうと思います。
茶道の先生を紹介してくれた我友
にも感謝です。
自分でも頭に入れるために、
ちょっと偉そうなことを綴ってしまいましたが、
でもやっぱり、、、
復習しなくても、
一週間経った今も尚、
おなかの底から記憶に残ってます(*^_^*)
厄も祓ってくれて、
美味しい幸せが満ちて、
思い立ちました。
あ、そうだ、
京都、行こう。