毎月通う『壬生
』ですが、
1月は、どうにもこうにも伺えなかったので、
今月が、新年初訪となりました。
女将さんに、
「まりちゃん、久しぶりじゃないの」と、
背中を叩かれてお部屋を入ると、
「釈迦涅槃図(お釈迦様が入滅した様子を表したもの)」のお軸に、
「原種のチューリップ」、
「勿忘草」、
「大きな蓮皿」、
「本真珠の貝殻」等が目に飛び込んできました。
また、
お料理のお題は、「訶梨勒」でした。
因みに、
「訶梨勒」というのは、
新年や慶事の席の床に飾られる袋物を指し、
邪気を払うと言われ、
現在では匂い袋の一つにもなっているそうです。
元々は、
インドなどに産するシクンシ科の高木で、
果実を秘薬にしていたぐらい大切にされていたものですが、
それが次第に形を変えて、
緒病を治す霊力を尊ばれ、
床飾りにまでなったとも考えられているようです。
室町幕府八代将軍・足利義政に仕えた同朋衆が記したと言われている
『御餝書(おかざりしょ)』に、
「一かりろくとて柱飾なり」とあるように、
室町頃にはすでに、
美しい袋に入れて、
書院の柱飾りとなっていたみたいです。
「訶梨勒」話が長くなり、
お腹がすいてきたので、
いい加減、
先、鶯
蜆味が米粒にしーっかりしみ込んだ「寒蜆の炊き立てご飯」にはじまり、
5色のほんのり甘い「涅槃餅」がのった「慈姑饅頭」のおつゆでした。
「鶴林」というのは、
お釈迦入滅を悲しんだ沙羅双樹(さらそうじゅ)が枯れて、
鶴のように白くなったという伝説からきている沙羅双樹の林のことで、
転じて、「釈迦の入滅」なんだそうです。
ほんと、勉強になります。。。
「鰆のお造り」と、
「平貝の炙り」がいました。
一気に口の中が冷えたと思ったら、
揚、矢柄・はす
揚げ物の「昆布〆矢柄」と、「蓮根」で、
また熱々になってました。
さらに、
追い打ちをかけるように、
煮、白きつね
シンプルにおだしだけで煮られた「淀大根」です。
「白きつね」という名前がついているだけあって、
きつね型になってました。
よーく見ると、
きつねの目も彫られてました。
大根煮は、
焚いてからすぐに食べないと、
風味も旨みも台無しになります。
よって、
私達が食べる直前に、
ご主人が、生の状態から、
すばやく、丁寧に丁寧に煮て下さるので、
供されたらすぐに頂きます。
あまりに熱すぎて、
涙目になりながら、
大根本来の味わいを感じながら食べてましたが、
その熱々を食べてこそ、
大根本来の醍醐味が味わえます。
驚異的な美味しさと熱さに驚きながらも、
続く、
焼、白子
この「河豚の焼き白子」が、
今回一の熱さでした。
大きさも、
超特大サイズです。
未だかつて、
『壬生』以上に大きな「白子」に出逢ったことがありません。
一気に頬張ろうとしたら、
女将さんが、
「まりちゃん、そんな食べ方したら、ますますヤケドするわよ~!
皮の一部をそっと破ってくれました。
この部分から吸い取るように食べていくのですが、
どことなく、
磯辺餅のような味わいでした。
女将さん曰く、
「白子餅っていうぐらいだからね」と。
確かに、
まるで焼き餅みたいな白子でした。
今年はもう今月で、
この巨大白子とはおさらばです。
「また来年、『壬生』で逢いましょう。」と、
白子に別れを告げると、
お口直しのさっぱり甘味が運ばれてきました。
「どんぐり農園」の「ボンタン」で作られたぷるんぷるんゼリーです。
中身にくっついてる白い皮も、
体の毒素を取ってくれる大切な食べ物ですから、
きちんと頂きました。
そして、
最後は、
大好きな「丹波産白小豆のお砂糖煮」です。
高級白小豆を初めて食べたのも『壬生』でしたが、
お抹茶をワンスプーンで頂いたのもこちらが最初です。
いつ伺っても、
発見と学びのある『壬生』の会員になって、
早いもので5年が経ちました。
お月謝は、
5千円値上がりして、
3万円になっちゃいましたが、
お金では変えられないものがココにはあります。
時の流れで、
万物はみな変わります。
人間も物も、
人間も物も、
一瞬前とは違うものということです。
私達は常に変化し、変化できる生き物なので、
私達は常に変化し、変化できる生き物なので、
これからもよりいい人生になるためにも、
社会貢献できる人間になるためにも、
そうそう、
毎週金曜日は、
『納豆大好き!金のつぶ
』の日です。
『壬生』では、
まだ一度も出てきたことのない納豆ですが、
この先も出てこないでしょうが、
レシピはこちらです→ http://www.facebook.com/KinnotsubuNatto