ヤクルトの藤本敦士選手が引退表明しました。 | ゴルフツアープロコーチ・野球トレーナー摩季れい子


今朝、ヤクルトの藤本敦士選手から電話。

インターネットで藤本敦士選手の引退表明を知った直後の電話だったのです。


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驚きの傍ら、そうか汗ついに引退か、寂しいな~と思いながらも、良くここまで、頑張ったなーと・・・


藤本敦士選手の野球選手としての活躍ぶり、いいえ!!!

それよりも、腰痛と長い間、戦ってきた日々を思い出した私です。


電話の向こうの藤本敦士選手から

「先生、本当に長い間ありがとうございました。野球選手を引退します」という声を聞き、

藤本敦士選手の決断に至った気持ちに、私の声が詰まりました。

声が出せず、何とか声を出して~~

「うん、分かった。長い間、お疲れ様でした。良くここまで頑張ったねビックリマークビックリマーク」と答えるのがやっとでした。


「昨日、引退表明する前に、先生に、連絡したのですが・・・」

私がその連絡を取れず、今日、報告を受けることに~~

「先生、今日正式に球団に出向いて挨拶してきます」

「先生には一番に、報告したかったんです」


藤本敦士選手は育英高校から野球のトレーニングを受けに私が主宰していたべースボールジム(当時は野球塾と言っていました)に通って来て、共に夢を叶えるために頑張った選手です。

プロ野球選手になってからもパーソナルトレーナーとして関わり、私の長い野球トレーナー人生の中で一番長く関わってきた選手の引退表明でした。

本当に長い間、ヘルニア症を持ちつつプロ野球選手として頑張った藤本選手。

辛かったあの大学を退学した時、医師から「この状態では野球選手としては無理です。野球を諦めて下さい」と、

プロ野球選手になることだけを一途に胸に抱き、頑張って来た藤本選手に過酷な宣告あせるあせるあせる


野球に復活するまでの痛みと痺れとの戦い。

症状を緩和するために、野球選手としてもう一度グランドに立てる日を目指して、リハビリに挑戦しました。


歩けない、走れない、悲しい自分に戸惑い、悩みながら、ひたすら踏ん張って野球トレーニングに打ち込んだ藤本選手。

足を引きずりながら通って来た敦士選手がバットが振れるようにまで回復した時、あの時の喜びが昨日のことのように思い出されます。

腰痛を克服して阪神球団に指名され、初めてプロ野球選手になれたことを私に報告してくれた電話から13年。

阪神に入団して、「9番」の背番号で阪神ファンの声援に応えていたあの頃。

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日本代表選手としてアテネオリンピックでホームランを私が観戦している目の前で放ってくれた藤本選手。

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何度も何度も苦境に立ちながらも頑張って来た藤本選手。

同じ腰痛で苦しむ野球球児の光と希望になった藤本選手。

心からお疲れ様でしたの言葉と、

そして、そして、「感動をありがとう!!!!!!」の言葉を贈ってあげた私でした。


ブログをお読みいただている皆様、

これからも頑張り屋の藤本選手に、現役選手時代と変わらず

熱いご声援を送っていただきますように、心からよろしくお願い申し上げます。


ありがとうございました。