自分を大切にする、とか、
そのままの自分を愛す、とか、
ありのままを愛す、とか、
本当の私、とか。

うん、自分ではない何かがあるっぽい。
ぼんやりとした感じや、ふわっとし過ぎていているせいで、
子供の頃はさっぱり、意味わからんかった。

大人になったら、今度はどうやったらそれができるようになるのか、がわからなくなってた。

正直言うと、今もようわからん。

でも、ふと気付いたことは、愛されるための条件があると信じてしまってた、ってこと。

それって、ちょっと持ってて?と言われた親の荷物を、そのまま持たされたままになってた、みたいなことじゃない?

なんか、ずっと持たされてたせいで、あたかもこれは私が管理しなきゃ、と思う様になったような。





待て。

これを私に持たせたまま、親は死ぬ。
この得体の知れない荷物を、親は置いて死ぬ。

え。やめろや。

ならば、もう、私がこれをどう扱おうと関係ない。
なんなら、私に持たせたことすら忘れている。
悪気も無しに。



私は、親の基準で自分を愛そうとした。
それは親のものであって、私のものじゃない。
私はただただ、自分を愛おしむだけで良かった。
基準なんて、なんにもなくていい。

それなのに、なんとなく、私は不十分だ、と思い込んで、それは信念になった。
でもそれは、親のものであって、私に適用しなくてもいいものだ。

親の荷物。
親が勝手にやっていればいいだけだな、と、ふと思った今日このごろ。