手術後約4ヶ月。 | makichantoshのブログ

makichantoshのブログ

Yahoo!ブログから引っ越してきました。
子宮筋腫闘病記から始めたブログが、今ではただの徒然日記になっています(苦笑)

2010年6月8日。
乳がんの疑いで左乳房温存手術を受けてから、118日。(3ヶ月29日。)

退院後3ヶ月と23日目。
仕事復帰後3ヶ月と17日目。

前回の診察から3ヵ月後の診察で病院へ行ってきた。





予約時間の5分前に受付を済ませると、
「主治医先生の診察の前に生理検査室へ行ってください。」
と指示され、
検査技師先生?による、左右の乳房と甲状腺の超音波検査を受けた。

事前に教えてくれていたら、もっと早く来たのにナー。





予約時間より30分くらい遅れて、主治医先生による診察。

・・・って言っても、なんと
主治医先生は乳房を直接診なかった!

超音波検査の結果を見て、
「(手術をした左乳房に)炎症反応があるけど、心配ない!」
とのこと。
(ネットにも出ていたし、1/5(ごぶんのいち)先生も言っていたけれど、
 手術後半年くらいは炎症反応が出るらしい。)





じつは、1週間前くらいから、左乳房の痛みと違和感がぶり返してきて、かなり不安になっていた。

痛み止めの薬を飲むほどでもないし、
我慢できないような痛みではないけれど、
でも、気にしないではいられないくらい痛い。

  私 : 「先生、生理前だから痛むんですか?」

先生 : 「それは、ありえるよ。
       だって、手術後に妊娠して患側で授乳できた人(=乳腺が生き残ってる?)だって、
       何人かいるもん。」

ということは、私の乳腺も生き残っているのかも?!
まあ、使う予定はないけどネ。(苦笑)





主治医先生は繰り返し、何度も何度も、「(乳房を)全部切り取らなくて良かった~!」 と言った。

「マキチャントッシュさんが笑顔で来てくれて、良かった!」
「暗い顔してたらどうしようって思った!」
とも言っていた。

そんな先生に、私は水泳を再開したことを報告した。
ついでに、ケータイで撮影した水着姿の写真も。(笑)

水着から傷痕がどれくらい出て目立つか、ということは
『オッパイに傷が付くということが女性にとってどれだけ辛いことなのか。』
ということを分かってもらうために撮ったつもりだったんだけど・・・。

まず全身写真を見せると、
主治医先生も乳がん看護認定看護師さんも

「おお!充分胸があるじゃん!」

そして、傷痕付近のアップ写真を見せると、

「おお!ずいぶんキレイじゃん!」

と2人して声を揃えて言った。





・・・私の思い、伝わらず凹





そして、手術後3ヶ月で
アンデス山脈という名の傷痕が、一気に中国山地くらいまで低くなったことを報告すると、

先生 : 「予定より早すぎるなあ。」(←ちょっと暗いトーン。)

え?

先生 : 「普通は半年くらいかかるんだけど。」(←やっぱり暗いトーン。)

ええ??

先生 : 「もっとしっかり(皮膚=傷口を)つまんでおけばよかったかなあ。」

いやいや、それは絶対イヤ!

先生 : 「(傷痕の幅が広くなるから)テープを貼ったほうがいいな。」

なぬーッ?!

先生の説明によると、
私はもともと巨乳だったから乳房温存もうまくできたのだけど、
その分、乳房の重みで傷痕が予想より早くヘタって、
伸びシロ?引っ張りシロ?のなくなった皮膚がさらに引っ張られて、
傷痕の幅が広くなってしまうらしい。





早速、その日の夜から優肌絆(ゆうきばん)の出番デスヨ☆

優肌絆は、注射を打った後にガーゼを止めたり、包帯を止めたりする、あの、白いテープ。
あれが肌色になって幅が2.5センチくらいある幅広のもの。
それを、傷痕が線路のレールだとしたら優肌絆を枕木の向きに貼っていく。

(子宮筋腫の手術の時の記事 『 優肌絆(ゆうきばん)。 』 で詳しく書いています。)





これからまた1年間、
チョキチョキ、ペタペタ、続けるのだ。

傷痕を最小限にとどめるために、
傷痕を気にしないで水着が着られるようになるために、
傷痕を気にしないで泳ぐことが出来るようになるために、

ガンバレ、アタシ!

負けるな、オッパイ!