運(うん)。 | makichantoshのブログ

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Yahoo!ブログから引っ越してきました。
子宮筋腫闘病記から始めたブログが、今ではただの徒然日記になっています(苦笑)

35歳未満で発症した乳がんを 「若年性乳がん」 という。
私は37歳だけど、主治医先生は私を 「若年性乳がん」 と言ってくれた。(苦笑)





乳がんの疑いが出てからというもの、とにかく私は情報収集に努めた。

そして、知人をとおして複数人の医者から、「若年性乳がんの診断は難しい。」 と聞いた。

20~30歳代の女性は妊娠&出産&授乳期にあたり、
乳腺の活動が活発なので分かりにくいらしい。

そして、その乳がんが初期であればあるほど、難しいそうだ。





でも、“ 癌 ” という命に関わる病気だけに、
「もう少し様子を見てみましょう。」 というわけにもいかない。

早期治療をすれば、乳房温存できる可能性が高くなるし、治療後の余命だって長くなる。





でも、もし仮に(癌かそうでないかを見極めるために)もう少し様子をみたとしたら?

それが運悪く癌だったら?





せっかく早期発見していたのに癌が進行して、
乳房切除(=全摘)しなくちゃいけなくなるかもしれない。
余命だって短くなるかもしれない。

だからこそ、細胞診を行うわけだけれど、
ネットで見つけた 「職業が乳腺外科医」 という人のブログには、
『針生検という診断方法でも間違えることがあるくらい、乳腺疾患の診断は難しいんです。』
と書かれていた。





私は、まさに、それなのだ。

マンモグラフィ検査の写真を見た乳腺専門医4人が4人とも初期の乳がんと診断し、
コア針生検の細胞を診た病理検査専門医が 「非浸潤性乳管がんを強く疑う。」 という結果を出した。

だから私は 「乳がん “ だ ”。」 という最終診断になり、
そして、手術を受けた。

でも・・・










結果、乳がんじゃなかった。











針で採取したほんの微々たる量では 「癌の疑いが強い。」 と診断された細胞も、
手術でゴッソリ切り取った組織を隅から隅まで細かく切り刻んで検査してみたら
癌ではなかったのだ。










最初に乳がんが疑われてから手術台の上で麻酔で気を失うその瞬間まで、
どれだけ泣いて苦しんだことか。

手術は成功したけれど、
乳房温存できたけれど、
歪んだ形になって見た目が変になっただけでなく、
その影響は左上半身から腕までにも大きく及ぶことになった。





すべては、「痛いから。」 なんだけど、

重たい物を持つことができない。

腕を前後上下左右に大きく動かすことができない。

高いところにあるものが取れない。(←バンザイができないから。)

シャワーを直接肌にあてることができない。

普通のブラジャーができない。

車の運転ができない。

車の振動が乳房に響く。

自転車の運転ができない。(←自転車って意外と腕力を使うから。)

愛しい甥君を抱っこできない。

左肩を中心にどんどん猫背になる。

スーパーで買い物カゴを持って歩けない。

階段を下ると乳房に響く。

伸縮性のない生地のジャケットやコートをスッと着ることができない。

電車に乗れない。(←片手で吊皮を持って片手で通勤バッグを持つ、ということができないから。)

左上半身をボディスポンジで洗うことができない。

プチ左利き(受話器を持つ、ケータイメールを打つ、車や自転車で片手運転するときは、みんな左手。)なので
勝手が悪い。

左腕だけが、歩行時は(スターウォーズの)3-CPO、静止時は “ 骨折して三角巾で吊った形 ” になる。

寝るときは仰向けオンリー。(←身体を横にして寝られない。)

皮膚表面の触感は無くなってしまったのに皮膚の下では常に痛みがあるという矛盾。

それから、それから・・・。





もちろん、時間の経過とともに回復したこともある。

でも、何も特別なことじゃない、
人として、ごく普通のことが、こんなにもできなくなってしまった。










これって、誤診として裁判を起こすこともできただろう。

乳がんではなかった生粋の独身女性の乳房を切ったわけだから。

恋愛も結婚も妊娠も出産も夢見ていた女性の乳房を切ったわけだから。

でも仮に、裁判で勝訴したとしても、
どれだけ巨額の慰謝料をもらえたとしても、
医師免許をはく奪できたとしても、
私はきっと得心しないと思う。










だって、もう二度と、100%天然の私のオッパイは戻ってこないのだから。











もしもあの時、
マンモトーム生検を受け入れていたら、
サード・オピニオンでもフォース・オピニオンでもしていたら、

事態は大きく違っていたかもしれない。

乳がんと診断されることはなかったかもしれない。

手術を受けることはなかったかもしれない。

だけど当時、私の小さな脳でいっぱい悩んで考えて、
どうしてもマンモトーム生検を受け入れられなくて、
コア生検を選択したのだから。

それに、もしもあの時、
4/5(ごぶんのよん)先生を信じて手術を任せていたら、
今ごろ私の左乳房は癌じゃないのに乳房切除(=全摘)されていただろう。

もしもそんなことになったら・・・。





そう。

「タラレバ。」(もしもあの時○○していタラ、もしもあの時△△していレバ)を言ったところで、
もう二度と、100%天然の私のオッパイは戻ってこないのだ。










乳がんの発生リスクが高い人の条件として、いろんな本やネットに必ず書いてあることは

   □ 初潮が早い(10歳未満)
   □ 月経周期が短い
   ■ 出産経験がない
   □ 高齢出産だった
   □ 閉経が遅い(55歳以降)
   □ 血縁者で乳がんの人がいる
   □ 良性の乳腺の病気にかかったことがある
   □ 子宮体がん、卵巣がんになったことがある

この8項目。
私はその中の1つしか該当しない。

それでも、乳がんと診断されてしまうような症状が出た私のオッパイ。










運命、 天命、 天運、 宿命、 宿運、 命運、 定め・・・

この手の言葉をいくつ挙げてもきりがないけれど、
これが私の、「運(うん)」 なんだ。










だから、医者を恨み続ける人生を送るよりも、

「痛い思いはしたけれど、不安の種を取り除けて良かった!」

「辛い思いはしたけれど、乳がんじゃなくて良かった!」

と考えて、健やかでお気楽な人生を送るほうを選ぶことにした。





まだまだこれからも辛い思いはするだろうけれど、
オッパイがあるから、がんばれる!

ココから再び、マキチャントッシュ伝説(?)が始まるんぢゃ!(笑)










健康、
バンザイ!





オッパイ、
バンザイ!