まだ上告中なのか

以前、どっちもどっちを書いた。今でもどっちもどっちであることに変わりはない。

だが、無能な人ほど勘違いしてる。

儂はいつ、石橋某を支持した?



石橋某が言ってるように、「邪魔!」って言われたことにカチンとくるのは仕方ないこと。カチンと来てもおかしくないクルマの持ち主相手に、大事な家族を乗せてる時に粋がる無能な父親。


これ、どっちもどっちでしょ?

無能な父親は、助手席に座っていながら「邪魔!」なんて言わなくても良いでしょ?1分1秒を競うようなとこでもないのに。素直に、邪魔だと思えば公団に電話してクルマの移動をさせたら良かっただけでしょ?無能な父親は、嫁や娘たちの前だから粋がってみせてこのザマよw


どう見ても頭のイカれてるクルマの持ち主じゃないか。身障者マークの駐車場でも平気な顔して停めるような輩専用車両だろ?話の通じる相手ではない。そんな相手に「邪魔!」は喧嘩売ってるのと同じ。


自己中な男2人の壮絶なバトルを作り上げてしまった。なんともバカな話だ。


この物語には、哀れな娘たちがよく登場するが、殺されたと思う前に哀れな娘の父親も悪かった。と言う考えが持てないように仕組む世間の流れ。これが、被害者に寄り添うということなのか?


無能たちほど、寄り添いたくなりますからね。意味分からずに寄り添うので哀れな娘たちも可哀想です。バカで無能で恥知らずな人たちから担がれて。御神輿わっしょい!されてさ。


文字の読めない無能がずっと叫んでますよね。そんなんだから常陸宮さまの名前が読めないって喚くんだわ。お可哀想に。


ところで、無能な世間様と一緒に喚き散らす有名人たちがこの物語の石橋某の事を「反省してない」と喚いてますが、皆裁判に掛けられたら「反省」しなくてはならないのでしょうか?


冤罪事件が覆ることが時々発生しますが、その冤罪事件に巻き込まれた人物は、「反省」することが無くても「反省」しなくてはならないのでしょうか?裁判に掛けられた人物は必ずしも「反省」しなくても良いのでは無いでしょうか。


無能な人は多分こう言うでしょう。

「お前は石橋某の支援をしてるじゃないか!」


って。

石橋某は自分の思いが間違えてないと思ってるのでしょうから、反省する意味がないんですよ。反省してたら上告しないでしょ?違います?


無罪は流石に行き過ぎですよね。追い詰めて止めた場所が追越車線は危険極まりない場所。それだけで罪は確定します。


しかし、石橋某は輩なので自分のことしか見えてないタイプ。それは、死んだ父親も同じ。可愛い可愛い娘たちを殺そうとした父親と何ら変わらない。死んでも尚反省してないでしょうからね。阿呆は死んでも治らないと言いますし。


仮に心のどこかで反省していても、裁判で負けたくない一心であのような暴言を吐き捨てたのかも知れませんね。


世の中の冤罪事件で反省させられるのはあまりにも残忍な行為に思うのです。やってもないことで疑われ、やってもないことで裁判にかけられ、やってもないことで「反省」を強制される。


世の中の痴漢冤罪者はこのような世間からのバッシングを受けて心を壊してしまってから「冤罪」でした。と外に出たところで。心は癒されないのですよ。わかります?


儂もあらぬ疑いを持たれたことはあります。その都度「反省」を促されました。しかし、儂はやってないし、石橋某を支持なんて一度たりともしてません。ですが、頭の悪い人は意味がわからないまま叩く事ばかりします。己の正義感で文字が読めなくなってしまってるのです。そういう考えもあるんだな。とはならない。


儂は一貫して、どっちも悪いよね。としか言ってない。喧嘩吹っかけときながら被害者ヅラする無能な被害者一族。父親方の一族なのか母方なのか知りたくも無いが、仮に母方ならまず父親方の一族を責めなさい。喧嘩吹っかけたのは無能な父親なのですから。


頭のおかしい人に説教しても効果ないのは、歳を重ねたら分かることでしょ?


まぁ、儂も変わらんけどな。

頭のおかしい人が儂を叩くのはいつものこと。それなのに、反論してる儂もそう変わらんがな。


この物語が冤罪とは言ってないよと書いておかないとコレ読んだほとんどの人は勘違いしちゃうだろうからね。


一番な被害者は誰かわかる?

追越車線を走っていたトラック運転手なんだよ。わけわからん罪に問われてさ。前方不注意はあまりにも滑稽。左右に分かれるから前もって追越車線を走ったらコレですよ。あのあたりは仕方ないの。トラックでも右車線走っても。ホンマは、あかんとしてもだ。一時的なことなんだから喚くな。


急な登りと下りが続くポイントで、加速しなきゃいけないのにチンタラ走る中車線のクルマがいたらそりゃ追越車線に行かざるをえないでしょ?仕方なく追越車線を走ってたらまさかの停車車両が2台もいるんだから。たまらんよね。


しかも見通しの悪い夜。

赤く灯るブレーキランプは、停車してるのか徐行してるのか分からんのですよ。ふつー。

追突されたくないからふつーは、ハザードランプも点滅させる。でもしてないでしょ?急な事でしょうし。乗り込んでくるし。オラついた若い男はふつーに恐怖でしょうし。


後続のトラックはそんなん知らんからな。追い抜こうとしたらまさかの停車。世間が哀れな娘たちに構う前に、巻き込まれたトラック運転手に寄り添うのが最適なのにね。みんな無能ですしスケベなため哀れな娘に真っ先に寄り添ってしまう。スケベ心が凄まじい。


こう言う時こそ、フェミニズム過激派が立ち上がって欲しいのですよ。「女と分かると擁護してしまうスケベな男ども!」って。


フェミニンは自己中だから無理かな。


反省って、人から言われてすることは反省とは呼ばないわけで。


儂にイチイチ絡もうとする輩たちも反省してませんからね。「我こそ正義」で生きてるから。だから、石橋某が反省しないのも頷けると思いませんか?