長女がてんかんの診断を受けた。
これから、一生薬を飲む気持ちでいてくださいと。
比較的薬が効きやすい型だから、薬でコントロールすることで、今まで通りの生活が送れるとのこと。
昨日の夜、長女が泣き出した。
怖い?不安?寂しい?
聞くと、どれも違う。
珍しく、お話がしたいといってきた。
長女にとっては、すごく珍しいこと。
二人で、別の部屋に行って、改めて聞く。
「なんか嫌なの?」
『コクリ』
「何が嫌かなぁ?誰か?」
『違う。自分』
『私が、てんかんじゃなくて、優しくて、みんなと仲良くできて、姿勢がよかったら、そっちの方がいいでしょ』
鳥肌とぶわっと涙が出た。申し訳なさと、切なさと、しんどかっただろう、本当ごめん。という気持ち。
こんなにも、この子は自分を責めていた。
自分が嫌いになるほど、自分を変える為に頑張ってきていたんだ。今の自分ではダメだとずっと、自分を嫌っていたんだ。
私に(母親に)愛される為。認められる為に。
私の子どもの時の気持ちと一気にリンクする。
「ごめんね。自分を嫌いになるのは、一番しんどいことだよね。あなたは一生懸命、自分を変えようとして頑張ってたんだね。苦しかったね。苦しかったね。いい子にならんと、お母達に大事にされないと思ってとんだね。ごめんね。淋しかったね。」
二人で、大泣きした。抱きしめて、ごめんねと、何度も言った。
「そのままのあなたが大好きなんだよ。ごめんね、お母さんもこうなってほしいばっかり言ってきて、そのままのあなたを見てなかったよね。お母さんもね、初めはそうする事が正しいと思ってて、でも違うって気づいて、でもそこからも上手く出来なくて、つい言ってしまったりしてしまって。ごめんね。苦しかったね。本当にごめんね。てんかんのあなたでも、イジワルなあなたでも、優しくないあなたでも、あなたはあなただもんね。大好きなんだよ。大好きなんだよ。」
初めて、自分からそんの話をしてくれた。
今まで、苦しかっただろう。淋しかっただろう。
こうして、伝えてくれたこと、怖かっただろうな。ずっと抱えててしんどかっただろうな。
自分を嫌いという気持ちが、すぐになくなるわけじゃないと思う。これから少しづついろんなことを話せるといい。
話ながら、私の気持ちともリンクして、私が言って欲しかった言葉をかけてしまっていた。
良くないとわかりながらも、長女に自分を重ねて見ていた。
私の気持ちまでも、この子のお陰で少し昇華される。
ありがとう。
きっと、病気が最後のひと押しをしてくれたんだね。
少しだけ、病気に感謝した。
普通じゃなくていい、長女が自分のことを好きになれる人生を送れるように。そう、生まれた時にも思ったはずなのに。
そして、話してくれた。
学校行きたくない。少人数ならいいけど、沢山人がいるとなんか嫌だ。
私もそうだった。なぜそう感じるのかは、わからないままだけど。
少しづつ話をしよう。これから。
寄り添いたい。