働くこと。やりたい、やるべき。 | 日々変わる気持ち

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出雲大社イベントでスナップを撮らせてもらってから、流れがすごい。

出版パーティーでのカメラ仕事

職場のホームページ写真

認知症カフェでのカメラ仕事

撮ってくれない?と立て続けに、
声をかけてくださって。

なんだこれ、みたいな。

『上手い下手関係なく、優しい表情とか気持ちが伝わる写真がいい。写真見てたら、十分伝わってくるから。』と、お願いしてくださった方がいて。

すごく嬉しい。
すごく嬉しい。

こんなに、「やりたい」と思うことが見つかったのは、いつぶりだろう。

ずっと職員さんや利用者さんを撮りたかった。すてきな瞬間たくさあるから!かわいいし!もうめっちゃ楽しんで撮ってやった笑
楽しくて、わくわくして、自分が喜んでる。




幼稚園の頃、『ピアノが習いたい』と習い始めたけど、つまらなくて、やめた。

お母さんに、芯がない。一つのことをやり通しなさい。諦めない。続けたら、楽しくなる。
などなど、たくさん言われてきた。

『私は、どうせ飽きるから』
『私は、どうせ諦めるから』
『私は、どうせ続かないから』
『私は、芯がないから』
そんな呪いがずーっとかかってた。

小学校高学年になって、すごくやりたいことが見つかったけど、その呪いで『習いたい』と言い出せなかった。
だから、一人黙々と、周りの上手い人を盗み見て練習した。転んでも怖くても、ぜんぜん嫌にならなかった。楽しくてしかたなかった。

ずっと自分が自分のことを信用してあげてなかった。

今の仕事を続けてるのも、人に認めてもらえるから、せっかく資格があるから、お金がいいから、かっこいいから、が大きかったんだなって、振り返ってみると。

自分がワクワクして、楽しくて、やりがいあってって、心底思ったことは、、、。

利用者さんが笑顔になってくれたら、そりや嬉しい。でも、PTとしてのやりがいって、ずっとわからなかった。

働き出して、二年目くらいかな?
就職フェアで、学生さんなPTとしてのやりがいを聞かれた。
職場のすてきなとこ、利用者さんとの関わりの楽しさとか、そういう所はスラスラ出るのに、PTとしてのやりがいが答えられなくて。

自分でも衝撃だったことを思い出した。

その頃から、ほんとは気づいてたんだよね。見てみぬふりして、楽しさを見出だそうとして、がんばってみても、人と繋がってみても、なにかが違う。

200%わかってるやん笑
わかってるやーん笑

うん、できないんじゃなくてやりたくない。

納得させようとずーっとしてた。それが正しいから、そうしなくちゃ、そうするべきと。
だから、がんばってやりがい探したり、がんばれるよう、楽しめるように工夫した。

ワクワクゼロ%

したいことなら、勝手に頑張れる。楽しめる。

楽しもうとする努力とかなんなん!!なんなんだ!!
それもう、そもそも楽しくないから。

今の会社で、増築の話があって、リハに特化した建物をたてるとか話があったときも(リハビリ職は私一人)、『やめてー!やりたくねぇーし。むりー』と思った。
全然乗り気にならないし、嬉しくもなんともない。むしろ、やめてくれと思った。

答え出てる。ずっと。

答え出てるけど、怖くて動かないだけ。
これ。

自分で決めるって怖い。