職場の人達は、心配してくれてる。
沢山のお総菜を持ってきてくれたり。
連絡くれたり。
なんで?って。仕事できてるよ。みんな認めてるよ。必要だよ。
あなたがきて、どれだけ変わったか。
セラピストを辞めてもあなたは必要。
大好き。友達だと思ってる。
こんなんでも、ちゃんと大切にされていた。
でも、ばれたら嫌いになるもん。呆れられるもん。
そんな、怖さ。バレる前に、今のうちに辞めなきゃ。みたいな怖さ。
いや、ばれてるって。逆にみんなに失礼だ。みんなのことを、バカにしてる発言だな。
私のダメなところも含めて、居ていいと言ってくれてる。
役に立たないと思っても、そうして必要としてくれる。
苦しい。
だれか助けてよ。
やめたい
放り出したい。
ただ、ただ、仕事を辞めたいだけのために、
こうして病んでるアピールしてんじゃねーのか。
そりゃ、うまく仕事ができたら続けたい。
自分の時間と子どもの時間と、家事の時間と、バランスをとりたい。
具体的にどうしていくのか、考えてみたら?と。旦那さん。
辞めたいならそれでいいし、続けていくならそれもいいし。
でも、悩みの問題点や課題をはっきりさせてからでないと、他の仕事をしても同じところでぶつかるんじゃないかな?
正論。
利用者さんと関わること自体は嫌じゃない。
利用者さん、職員のみんな好き。
どうしたらより良くなるか、みんなで話すのは嫌じゃない。
アイディアを出すのは楽しい。でも、抜けがあるし、続かない。
最初の行動力はすごい。でも、続かない。
介護職の一人として現場に入るときは、嫌じゃない。むしろ、楽しい。
PTとして、意見を求められたり、相談されることがとても怖い。介助方や手すりの位置とか。
PTとして、外部に出たり、外部の人と話したりすることは、とても怖い。
PTとして、見られることがとても苦痛。
でも、相談されずに違う意見を言われると、もやっとする。違うんだけどなって。
でも、違うことはわかるけど、根拠を相手がわかるようにうまく説明できない。
知識がないから、なにがいいか悪いかわからないこともある。変化に気づくのが少ない。
たくさん勉強、毎日勉強、毎週研修とかについていけない。熱意についていけない。
子どもや自分の時間も大切にしたい。
仕事以外の時間は、正直したくない。から、楽しくなくなってくる。義務ですべきになってる。
そして、そんな気持ちでやってては、ダメだと思っている。みんな、向上心や熱い気持ちをもってやってるのに、自分はできない。
やっぱ『PTとして』というところに、ものすごく凝り固まったものがある。
介護職の人だって、熱い気持ちや向上心を持ってる。なぜ、介護だと楽しいと思えるのか。自然に楽しいと思えるのか。
PTは、自分一人。責任やプレッシャーはすごくある。自分の言った一言で決まることも多々ある。そんな怖さ。
人に指導したり、伝えたりしないといけない立場という怖さ。そうあらねばならぬという固まった考え。
みんながどんどん成長していくのに、自分は変わってないと感じる。
ってか、まじめかっ。
もっと楽にできないのかな。