今生きているということ | 日々変わる気持ち

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今日は、私の実のおばあちゃんと子供たちと買い物に。

86歳になるばあちゃん。

なかなか出かけれないから、たまにこうしてどこかへ出掛ける。

車の中でよく昔話をしてくれる。

母親は小さなときに亡くなって、
記憶にない。

その後、父親が1人で4人の子供を育ててくれて。

17歳で結婚させられ、なにもわからず好きでもない人の所へ嫁ぐと、姑にひどくいじめられたと。

クワや鎌で叩かれたり、あんたのせいだと怒られることはしょっちゅう。

近くの実家に顔を見せにいくことですら、土下座をしないと行かせてくれなかったり。

そして、旦那(私のじいちゃん)からも怒鳴られ、こき使われてきた。

ここまでは、何度も聞いた話だった。


そのあと、

「一度本当に死のうと思ったことがあってね。息子(私の父)をだっこして、娘をおんぶして、線路に飛び込もうと線路の前まで行ったことがあるんだよ。

辛くてね、おじいさんにも浮気されて、姑には、「あんた(ばあちゃん)がくるまでは、あんなことをする子(じいちゃん)じゃなかった!あんたのせいだ!」とも言われ、毎日毎日働かされて、いじめられて、帰るところもないし、また父親に迷惑かけるわけにもいかないし、どうにもならなくてね。

でも、思いとどまって、今があるんだ。
なんとか86年生きてきたよ。

今は、ひ孫がかわいくてかわいくてねぇー。」



なんというか

ばあちゃんがそこで思いとどまってくれて

必死に生き抜いてくれたから

今あたしがいるんだと、心から思った。

ばあちゃんが、歯を食いしばって生きてくれたから

あたしは子供たちに会うことができた。 

命ってすごい。
今までの先祖の人達が、必死で繋いできてくれた命がここにあるんだと。

言葉では聞いてたけど、こんなに実感したことはなかったかもしれない。

おばあちゃんだけじゃない、おじいちゃんもシベリアの捕虜になり命がけで帰ってきた。

きっとひいじいちゃんも、ひいばあちゃんも、その前もその前のじいちゃんばあちゃんも、必死に生きてきてくれたんだ。
もちろんお父さんやお母さんも。

全ての人の人生に、それぞれの物語があって。それぞれの苦しみや幸せがあって、それが次の命につながる。

誰か1人でも欠けてたら、今のあたしはいない。子供たちもいない。

ありがとうじゃ、全く足りない。

表現しようのない、感謝や感動が押し寄せる。

生きてることのすばらしさを感じることができた。

ばあちゃんは、
「こんなこと誰にも言ったことなかったよ。言う必要もないことだけどね。」と笑った。

生きてきてくれて、ありがとうございます