支倉常長氏は、何処に眠る その3と、もりそば・SHIN
10年以上も前に見つけた、支倉常長氏のお墓が3つも存在することの話題の最終回です。
前回までの投稿は以下のリンクからご覧下さい。
毎度のおさらいですが、支倉常長氏は、仙台藩主の伊達政宗の命によりヨーロッパ派遣のため宮城県石巻市の月ノ浦からサン・ファン・バウティスタ号で出航して、ローマまで行き通商交渉を行なおうとしたがうまくいかず、戻ってきたら禁教令が出ていたりと踏んだり蹴ったりに。帰国後、病気で亡くなった説など正確なところが不明ということもあり、一説にはキリシタン弾圧を避けるための偽情報だったんじゃないかとかあります。
川崎町に記載されている情報では、52歳でなくなったとされていますが、大郷町の墓地には、82歳でなくなったと記載されています。宮城県内には、3~4カ所も支倉常長氏の墓地があり、真相は不明なためミステリーな話題になるかと思います。
私はこれまで、北仙台(光明寺)、大郷町(支倉常長メモリアルパーク)、川崎町(圓長山円福寺)と行きまして、4カ所目については、大和町の五輪塔というのがあるのですが、こちらは一般では入れない私有地のようですので、断念しました。(伊達武将隊がお参りした投稿がネットに掲載されています)
今回は、3カ所目となる川崎町に行ってきましたのでご紹介します。
川崎町の「圓長山円福寺」に支倉常長氏の墓石があります。
こちらの写真(上)は、円福寺の手前にある旧支倉小学校を再利用した複合施設「イーレ・はせくら王国」になります。
校庭が駐車場になっていましたが、どうやら円福寺にも駐車場がありましたので、そちらを利用することにしました。
こちらが円福寺に向かう階段です。
こちらを上り、左手側にさらに登る経路があります。
途中、いかり印の墓という印がありますが、この右横の階段をさらに上がっていきます。
ようやく、いかり印の墓石が見えてきました。
支倉六右衛門常長の墓とあります。ここには、没52歳と記載されていますね。
こちらが、正面からみた、いかり印のお墓です。
お墓は立派な感じがしますが、他の墓地に比べて神秘さが感じられなかったと思いますので、ここにはいないのではないかと思いました。
ですが、反対を振り向くと。。。
眺めの良い光景がありました。
天気も良くいい眺めで素晴らしいです。
ここで眠っているなら、いい景色を毎日見ておられるのだなぁと思った次第です。
墓石から円福寺玄関前まで降りてくると、木彫りのクジャクが目にとまりました。
この後の建物の中には、マリア像があったのかなぁと想像しますが、見てくるの忘れました。
今度は、マリア像を見て回ろうか?隠れキリシタンを追ってみようか?どうしようかな・・・
またの機会にしようと思います・・・
と、考えながら、お腹が空いたので、秋保まで戻り、その通りがけに見つけた、おしゃれなおそば屋さんに入りました。
もりそば・SHIN(© 暮らす仙台)
最初、一般のおうちかなと思うようなたたずまいでしたが、素敵なおそば屋さんでした。
前面に車が止められるようになっています。
メニューは2種類くらいしかありませんでしたが、もりそば素晴らしかったです。
まずは、前菜と鴨肉が、とてもおしゃれな感じです。
どれも美味しくて、満喫しました。
このクオリティを感じ、おそばを食べるのが待ち遠しくなりました。
先ずは、ほそうちの白い蕎麦!とても美味しいです。














