支倉常長氏は、何処に眠る その2
随分前になりますが、以前仙台散歩をしていた頃に発見したこのミステリーの続編です。前回の投稿はこちら『仙台散歩〜支倉常長氏は、何処に眠る』前回のおさらいですが、歴史上の人物、石巻でも知る人ぞ知る支倉常長氏。伊達政宗の命によりヨーロッパ派遣のため宮城県石巻市の月浦港からサン・ファン・バウティスタ号で出発して、ローマまで行き通商交渉を行なおうとしたがうまくいかず、戻ってきたら禁教令が出ていたりと踏んだり蹴ったりに。帰国後、病気で亡くなった説など正確なところが不明というのも不思議な感じですが、また、この方のお墓が宮城県内に複数あるなど謎があります。一説には、実家のあった川崎町のお墓に眠っているのではないかとの説もありますが、そうでない説もあるようです。いろいろネットにも情報が出ていますので参考にして見てください。前回は、仙台市内にある光明寺を散策しましたが、今回は、大郷町にある支倉常長メモリアルパークに息子と一緒に行ってきました。こちらは、町中からは少し離れたところにあります。車でいったのですが、利府の町中から10分程度のところにあります。車でないと行きにくいところですね。車を止めて、中に入っていくとまず、銅像が建立されております。公園のようになっていて、綺麗に整備されていますね。中の小橋をわたり、山中に入っていく感じになってきました。真夏ですが日陰なので、ひんやりした感じでした。そして、階段を上がっていくと、お墓が現れました。大きな木が、鳥居のような感じになっています。お花も飾られていて、綺麗に整えられていますね。ヒンヤリとした静粛の中で、お参りさせていただきましたが、時々何かいると身震いする感じなんですが、ここではそんなことは感じられましたんでしたね。次は、3つ目の川崎町へ行ってさらに確認したいと思います。