「その時は天が俺たちを見放したのさ。」byアカギ。

 

 

天才のアカギが言うからセリフとして成り立つ。

 

 

どんなに一生懸命にやっても勝てない時もある。努力しても届かない時がある。

 

その時は仕方が無いと諦めるしかない。自分に正義があっても。仕方が無い。

 

 

アカギでもこういう気持ちが理解できるのか? 

 

アカギ程の天才がこういうのだから、俺も諦めても良いのかとホッとする。

 

いや、凡人の俺はまだ何かできるはず、あきらめちゃダメだろうとも思う。

 

 

 

ふと、サトシの事が思い浮かぶ。氷菓のサトシ。

 

 

ほうたろうの天才的推理の影で日の目を見ない秀才。

 

ある場合にはほうたろと肩をならべる所まで行くが、やはり、ほうたろうには及ばない自分を痛感する。

 

 

でも、十文字事件では本当にほうたろうは自力で事件を解決できたのか?

 

 

姉が持ってきた「夕べには骸に」が無ければどうだったか?

 

いや、偶然持ってきた漫画に十文字事件を重ね合わせることが可能なのか?

 

「骸に」の裏書にあったのは「クリスティの有名事件のプロットを真似る」と書いて

 

あっただけで、それがABC事件であり、現在進行形の十文字事件との関連を考えるのは無理があるのでは?

 

 

それができないサトシをして自分を非力だと悩ませるのは無理があるのではないか?

 

これって、無理ゲーだったのでは? さすがに人間離れしている推理すぎる。

 

 

と思うのは、自分も結構努力しているが、回答に至らない場面を経験しているから。

 

いろいろ仮説を立てて難題を解こうとしているが、必要なピースが足りないようで、

 

仮説もボロボロだ。どうしても解決できない。やるだけやるけど、無理っぽい。

 

 

 

そんな時に、アカギの「その時は天が俺たちを見放したのさ」という感じになる。

 

無力感と諦めと少しの自分はよくやっという自負。

 

そんなものを抱えて、人は引き下がる。諦める。

 

 

俺では届かないのか? やはり届かないのかと思いながら。