【ピアニッシモの向こうの無音の響きへ】

 

高橋アキ先生のピアノリサイタルを聞きに、

豊洲シビックセンターホールへ行ってきました。

 

曲目は、

先日亡くなられた湯浅譲二さんへの追悼の思いを込めて弾かれた

「内触覚的宇宙」で始まり、

 

佐藤聡明:ピエタ

ピーター・ガーランド:AUTUAM

の二曲は献呈作品の世界初演で、

 

後半は、

シューベルトの変ロ長調の遺作でした。

 

異次元に吸い込まれたような2時間でした。

 

アキ先生の弾く現代音楽は、

観客との間に壁を作らず、

むしろ、

観客を曲の中に招き入れるような優しさがあり、

いつも、

それが現代音楽だということも忘れてしまいます。

 

そして、

アキ先生の弾くピアニッシモは、

とても一言で片付けられるものではなく、

ピアニッシモのなかに、

数え切れない音色のパレットが展開します。

 

その豊かな弱音は、圧倒的な吸引力で、

聞く者を吸い込んでいきます。

 

最弱音の先の無音の美しさを知ったのも、

アキ先生の演奏からでした。

 

無音とは、

音がないのではなく、

そこには、

聞こえない音が響いている。

 

佐藤聡明さんの「ピエタ」がとくに印象に残りました。

 

この世には、

確かに感じられるのに、

どうやっても言葉では言い表せないモノやコトがありますが、

「ピエタ」では、

音によってソレに触れられたように感じました。

 

後から読んだプログラムノートに、

佐藤聡明さんの「ピエタ」の解説が載っていました。

 

〜〜 一部抜粋 〜〜

 

一枚の絵に心惹かれました。それは他とは異なり、イエスの手を握りしめたマリアは、明らかに微笑んでいるのです。もしかしたら最愛の息子の死を嘆き悲しむとともに、イエスの魂が父のもとに還るのを、心の眼で観ていたのに違いありません。この絵のように魂から魂に伝わる無言の響きが、宗教の本質にあるべきなのでしょう。

 

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この文章の中にある

「心の眼」や「無言の響き」は、

確かに、

アキ先生の演奏から観えたし聞こえたように感じます。

 

最後、

アンコール2曲がまた絶品でした。

 

坂本龍一:Parolibre(パロリブル)

武満徹(高田ひろ子編曲):さようなら

 

亡くなった偉大な友人たちの志を引き受けて、

弾き続けるアキ先生は、

心底かっこいいと思いました。

 

演奏され続ける限り、

作曲家は死なないんですね。