【神聖な儀式のような場】

 

姫体と老体

生と死

闇と光

天と地

希望と諦観

不条理の連鎖…

 

一壮さんが、

ちらっと、

今回の舞踏について、

おっしゃっていた言葉です。

 

5月26日に、

コラボさせていただいた、

三浦一壮舞踏公演「鷹の井戸」の

動画をいただきました。

 

「鷹の井戸」音楽・演奏(ピアノ):瀬尾真喜子 。舞踏:三浦一壮、照明:早川誠司

 


いつも、

自分の本番を後から見るのは、

ダメージを受けるので本当に嫌いで、

気力体力に余裕がないと見る気になれないのですが、

今回は、

一壮さんの踊り見たさに思い切って再生しました。

 

他人を見るように、

50分ほどの即興コラボを、

見入ってしまいました。

 

「一壮さんの舞踏が作り出した場」は、

「神聖な儀式」のようでした。

 

というか、

舞踏とは、

場を鎮める、

鎮魂する役割があるんだと、

あらためて実感しました。

 

わたしのピアノは、

もはやわたしのピアノではなく、

 

その「場」の力に、

引き上げてもらった、

と思いました。

 

今回のコラボで、

一番驚いたのは、

87才になる一壮さんの、

世界に対する謙虚さと、

その命のみずみずしさでした。

 

本番の二週間前、

顔合わせを兼ねて、

少し、

ピアノと踊りを合わせる機会を頂いた時、

 

わたしのような若輩者は、

大大先輩の一壮さんについていこう、

という、

浅はかな考えは、

打ち砕かれました。

 

一壮さんは、

相手が誰であれ、

一期一会の新しい出会いをチャンスと捉えて、

わたしの表現から刺激を受けて、

自分の舞踏がどう変わるか、

貪欲に、

切実に、

もっと良くなろうとしている。

 

まったくもって、

守りに入っていない。

 

予定調和を崩した先の、

未知の領域に賭けている。

 

今回のテーマ、

「鷹の井戸」について

語り合うことは皆無でしたが、

一壮さんが、

この能の作品の核心に迫って、

その深部で模索していることは、

ビリビリ伝わってきました。

 

言葉で書かれた世界を、

舞踏とピアノという、

言葉のないものであらわすとき、

世界の境界線が消えるんだと、

知りました。

 

生と死間に、

無限のグラデーションがあり

一壮さんはその間で

鷹になり

女になり

老人になり

水になり

命になり

 

死がわるいことではなく、

生の始まりだということもわかる。

 

イエーツは、

アイルランドの民話を能にすることで、

何を伝えたかったのか。

 

言葉にすると、

こぼれてしまうものを、

一瞬でも、

この世に留める方法が、

舞踏や音楽なのかもしれません。

 

当日、舞踏を撮影していたのに、

ピアニストの映像込みバージョンまで編集してくださった、

カメラマンのチャーリーさんは、

AYUOさんのバンドのジェノームでキーボードやってたとき、

何度もお会いしていたので、

世界が狭くびっくりでした。

 

動画をいただかなかったら、

気付けないことがたくさんありました。

ありがとうございました。

 

また、

佐藤慶子先生には、

今回のコラボのきっかけを作ってくださって、

根本的な在り方から、

舞踏とコラボするとはどういうことか、

深いアドバイスをたくさん頂き、

本当にありがたかったです。


また、

経験のないわたしに、

お声がけくださった、

今回の公演をプロデュースされた志賀 信夫さん、

貴重な経験をありがとうございました。


ただいまブレイク中で、

ひっぱりだこの一壮さんと、

またいつかコラボ出来るように、

精進しますので、

どうぞよろしくお願いします。

本当にありがとうございました!