【『フラジャイル』と『鷹の井戸』】

 

別件で本を探していて、

たまたま手に取った『フラジャイル』が開いてしまって、

そこをみたら、

松岡正剛さんが『鷹の井戸』について、

7ページに渡って書いていて驚いた。




分厚い本とはいえ、

2年ほど前に読んだつもりの『フラジャイル』なのに、

まったく記憶になかった。

 

そこに出てくる梅若実さんという能楽師は、

わたしが今習っているお能の先生のお師匠さん、

というおまけ付き。

 

うーん。

どういうことかな。

 

世界は裏で繋がってるのかな。

 

わたしのケチなエゴなど知らぬところで、

何らかのはからいによって、

人生は動いている。

 

どんなに忙しかろうが、

それとこれとは関係ない。

 

目の前に来たことには、

意味がある。

 

流れを信じるかどうか、

だけですね。

 

ーーー

 

あらためて読んでみた。

すごいことが書いてあった。

 

『鷹の井戸』に言及している7ページは、

最後の一言に凝集されていた。

 

「能というものは「精」の消息である」

 

「精」とは、

「命」に近いが、

命がもっと研ぎ澄まされた、

「生と死」の両方を貫くような、

未来永劫のなにか、

だろうか。

 

それは、

舞っている人の体に宿り、

また去っていくアレだろうか。

 

今日、

三浦一壮さんとのメッセージのやりとりで、

まさに、

そういうことをおっしゃっていた。

 

ーーー

 

物語は、

ケルトの若き英雄クーフリンが、

永遠の命を求め、

一羽の妖しい女鷹が守る井戸の水を汲みにやってきて、

これを妨げられ、ふたたび去っていくというもので、

最初に井戸の傍らに老人がいて、

得体のしれない井戸守の女がうずくまっているという場面からはじまる。

 

とても不思議な、

暗喩的なストーリーで、

どこまでも深読みできる。

 

『鷹の井戸』は、能の有史以来、

外国人原作による今なお演じ続けられている唯一の演目、

ということだが、

 

長く生き残っていく作品には、

やはり、

なにかが宿っていて、

関わると、

引きずり込まれるんですね。

 

現に、

当分書くつもりも時間的余裕もないはずのブログを、

毎日書かされてしまっている。

 

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画家の坂井真理子さんの

幻想童話とエッセイをまとめた書籍の出版に伴った個展

「赤、そして黒」(5/24〜5/30)会場にて、

イエーツの能「鷹の井戸」の世界観で、

舞踏家の三浦一壮さんの舞踏と即興コラボをします。

 

5月26日(日)17時 三浦一壮舞踏公演「鷹の井戸2」

音楽:瀬尾真喜子(ピアノ)

会費:2500円

会場:アトリエ第Q藝術(成城学園駅)

 

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