【『鷹の井戸』って?】

 

 

わたしは恥ずかしながら、

今回お話をいただくまで、

『鷹の井戸』について、

何も知りませんした。

 

ですが、

知れば知るほど、

ご縁を感じる作品でした。

 

本番まで、

『鷹の井戸』を身体化できるよう、

わたしなりに、

『鷹の井戸』に迫っていこうと思います。

 

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画家の坂井真理子さんの

幻想童話とエッセイをまとめた書籍の出版に伴った個展

「赤、そして黒」(5/24〜5/30)会場にて、

イエーツの能「鷹の井戸」の世界観で、

舞踏家の三浦一壮さんの舞踏と即興コラボをします。

 

5月26日(日)17時 三浦一壮舞踏公演「鷹の井戸2」

音楽:瀬尾真喜子(ピアノ)

会費:2500円

会場:アトリエ第Q藝術(成城学園駅)

 

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『鷹の井戸』は、能の有史以来、

外国人原作による今なお演じ続けられている唯一の演目で、

 

日本文化とケルト文化に通じあう思想が融合した

極めて稀な能作品であり、

 

西洋の文化人達が優れた日本の芸術に心酔したことから始まり、

今日まで発展し続けられてきた精神的交流の結晶ともいえる作品です。

 

アイルランドのノーベル賞受賞作家イエーツは、

フェノロサ、パウンドらから知らされた日本の能文化に強い影響を受け、

その中に当時彼が復興させようとしていたケルトの思想と共通する

「異世界」と「幽玄」の存在を認め、

戯曲『鷹の井戸』を執筆したそうです。

 

わたしが、ただいま絶賛、死にそうになっている

編集学校の校長、松岡正剛さんが、

千夜千冊で『鷹の井戸』についてこんな風に書いていました。

 

〜〜〜〜 千夜千冊『鷹の井戸』より 〜〜〜〜

 

 それにしてもイエーツもおそろしい。たちまちにして能のエッセンスを吸いとって、これをケルトの幻想にまぶして遠い蓬萊の国の香りに加上した。

 ぼくは『フラジャイル』(ちくま学芸文庫)に『鷹の井戸』の紹介をかねたイエーツの印象を書いたとき、おもわずその本質的な「面影のはかなさ」に言及したものだった。そしてわれわれが、日本人の心の歴史にこそ根付いていたとおもってきた「面影のはかなさ」が、かえって、このアングロ・アイリッシュの詩人によって、もっと象徴的に表象されていることを指摘した。

 いまイエーツといえば、ノーベル賞をとったのちの老いた聖者の風格のあるイエーツ像がいちばん近しいものになっている。しかしイエーツの生涯はなまやさしいものではなかった。何度も鷹の井戸のそばにまで辿りつきながら、鷹が舞い上がって自分を嘲っているのを見ている。

 

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なるほど〜

 

作者が外国人であるということと、

この作品が長く生き残ってきたこととは、

何の関係もなかった。

 

国の違いなどとっくに超えた先にある、

人間の普遍的な本質、真実に触れた作品なんですね。

 

イエーツは、

能の本質を見抜いて、

ケルトの本質と結びつけてしまった。

 

舞踏の三浦一壮さんは、

その本質を舞踏に昇華させて、

踊られるのだと思います。

 

では、わたしは、

どう弾いたらいいか?

 

明日は、

日本文化とケルト文化について、

迫ってみたいと思います。

 

つづく