6/10に開催しましたコンサートは、

おかげさまで、

無事に終了しました。

本当にありがとうございました。

 

コンサートにいらしてくださった黒須先生が、

またまた嬉しい記事を書いてくださいました。

 

黒須先生は、

先生の別荘の近くにある北軽井沢ミュージック・ホールのコンサートに、

たまたまいらっしゃって以来のご縁です。


大学の先生なので、

わたしの適当なピアノを、

理知的に解釈してくださり、

先生の言葉を通すと、

わたしの拙い演奏が、

グレードアップした気分になります。

 

今回は、

実況中継のような、

詳細なコンサートのレポートに、

詳しい曲目解説を加えて、

Facebookに書いてくださいました。

 

シャコンヌ解説、

プログラムに載せたかった。。。

 

次回、弾く時があったら、

トークに使わせていただきます。

 

いつも、本当にありがとうございます!

 

ーーー黒須先生のFacebook記事よりーーー

 
♫ インスタグラマー・ピアニスト(・・・と命名してみました)の瀬尾真喜子さんのコンサート。
 
 「バッハから宇宙へ」 @市ヶ谷ルーテルホール 6月10日
 
 🎹 ピアニストの瀬尾さんを知らない人のための簡単な紹介。
 瀬尾さんはインスタグラムにて毎朝7時(+α分 ※ )よりショパンの使っていたピアニーノと数番違いの歴史的ピリオード楽器で、毎日欠かさず即興演奏+トークをしている、ピアノ演奏世界のエクスプローラーでもある。さらに1分の即興演奏を毎日、アップしている。
  ♫ 今回は、前半は親しみ深いピアノ曲の小品と即興演奏、後半は即興演奏に続いてのバッハ大曲、「シャコンヌ」(ブゾーニ編曲版)の構成。
 
 ♫ テーマは「バッハから宇宙へ」。
 瀬尾さんの演奏は宇宙につながっているという意見から発想されたとのこと。実は、自分も今回のコンサートからも、同じような感想をもった。瀬尾さんの演奏は、単なるピアノ演奏だけというわけではなく、トークを組み合わせている。自己の根源と向きあう内的掘削と即興演奏が不可分につながっている。これについては哲学を愛する人がいたら、ぜひ朝のインスタグラムトーク&即興を聞いてみることを、お勧めする。本人は自覚していない様子だが、哲学史の視点からは興味深い「実験」的な内的向き合いがなされている。即興演奏は、そのなかから湧き出てくる。
 
 ♫だれでも、生まれた世界は心惹かれるもので満ちていて、宇宙からのエネルギーをもらって生きているようなところがある。瀬尾さんは、そうした降ってくるエネルギーから即興演奏を奏でる。「宇宙とつながっている」という意見は、そうした演奏法を言ったのだと思う。
 
♫ 今回のコンサートの前半はバッハのカンタータより、誰でも聞いたことがある「羊は安らかに草を食み」からスタート。鳥がらみでダカンとラモー、メシアン(=数秒で終わる鳥声のスケッチ)、それとカザルスが国連総会で演奏した「鳥の歌」のピアノ版と鳥シリーズの小品を連ね、だんだんと3拍子系のダンス曲へとつなぐ構成で、実はこの構成の通奏低音になっているテーマは「命」である。
 命はlifeでもあるのだが、spirit でもあって身体を流れるエネルギー(?)を掬い取って音楽に体現する。なので、きょうのコンサートの小品群は、食事の時のウェッジウッドなどの食器みないなもので、主食材は即興演奏の方みたいなところがある。主食さえあればいいや、というわけにはいかず、やはり旨いと感じるには、なぜかウェッジウッドは要るのである。
 ラストの即興からは、シャガールの幻想絵画でもなく、カトランのリトグラフの色調でもない、なんというか瀬尾ワールドの心象風景が現れるのですけど、瀬尾さんは画家ではなくで音楽家でしたね。気になる方は、オンライン配信を聞いてみてください。見える風景は、同じなのか、人によって違うのか気になります。
 
 ♫前半、即興でスタート。楽譜に固定されたレールから外れず奏でられるのではなく、その場で空から降ってくるのを音楽にする。だから、後半のテーマ名は正確には、「宇宙からバッハへ」の方が正しい。
 
♫ 🎻バッハの「シャコンヌ」は、原曲は無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータのうち、パルティータ2番(ニ短調)の終曲の超有名な「シャコンヌ」。ヴァイオリン作品のなかでは、ダントツの最高峰の作品の1つであり、音楽というジャンルを超えて人類史上、文芸作品の頂点の1つと、私は考えています。
 
🎹 瀬尾さんが、なぜか舞台で「バッハも人間だったなー」ということを述べていましたが、その正確な意味は不明ですが、この「シャコンヌ」を含めソナタ&パルティータの6曲構成の作品は、幾何学的な美しさや宗教曲作品の敬虔さを感じることの多い、かつ神様に近いところにいると感じるバッハの音楽のなかでは、ある意味でとても「人間的」と思う。つまりシャコンヌという作品からは、人間的な心象風景が浮かぶのである。
 私はシャコンヌをフルートでやってみようと挑戦(すでに3年ほど練習中、無謀と言われています)しているのですが、自分で音に出してみようとしたら耳で聞くのと感じ方が異なり「あれ~?これは、誰か愛する身内の死の悲しみと関わっている」という印象が感じとれる。調べてみたら、バッハの最初の奥さんのマリア・バルバラが死んだ35歳のときに書かれた作品でした。
 
 🎻 最愛の配偶者の突然の別れ、受け入れられない現実との直面、慟哭、死という峻厳な現実の前に立つ。思い出のなかでは平穏な安らかなひと時もあったことを。しかし、時間は無情に進むもので、いつか必ず別れの時がくる。別れの時が近づき、愛する親族の魂は空に飛翔して消えていき、そして今、一人孤独に取り残された自分に意識が戻る。
 パルティータは15分ほどの作品ですが、8つのセクションに分割でき、それぞれのパートから上記のような心象風景を汲み取ることができる。
 この曲は、思いを深めて演奏してしまうと深刻になりすぎ、激しい実存的な悲しみと共鳴してしまって、お客さんのなかには過呼吸になって救急車で運ばれるのではないか?と思われる深刻度を含んでいる。
 ピアノ版のブゾーニ編曲も、超絶技巧の類ですが瀬尾さんの解釈は、深刻すぎることもなく軽すぎることもなく、中道を行くgoodな演奏でした。
 
 ♫ クールダウンにアンコールとして、ドビュッシー「月の光」。ショパンのエチュード「革命」(この曲は弾かないと、「何で弾かなかったの~~」とブーイングするお客様がいるという因縁の曲とのこと。昨年の秋、9月のコンサートでも演奏されたが、私はどういうわけか「戦争前夜」を想起したが、今ほんとうに戦争になってしまった。今回はなぜか、平和になるような気がします。)。
 
♫ 演奏会全体の締めの即興には、「雨あめふれふれ母さんが~、蛇の目でお迎え嬉しいな~」や「♬笹の葉サラサラ♬」の心象も現れ、🌿季節感バッチリ✨。ルーテルホールのオーナーである神様へ、♫amenでエンディングという構成でした。
 
⛪️ 玄関の皆さんの会話、「即興になるとキラキラ、降ってくるのよね~」との談。確かに太陽から発せられているエネルギーのうち、地球で熱として受け取れるのはたった4%だけに過ぎず、残りの96%の莫大なエネルギーはニュートリノとかの軽く過ぎてちっちゃすぎて、周波数が地球上ではほとんど干渉せず、すかすか体をすり抜けているエネルギーだという。そういう、何だか目に見えないエネルギーをつかんで音楽にしているのが即興なのかもしれない。
 
 🌞 朝のインスタグラム即興も含め、この演奏形態は、現代実存主義哲学の自覚されない、自然で新たな表現形態なのかもしれない。
 ⛪️ フロアの皆様、とても満足してお帰りになったように思います。
 🌤 私は北軽井沢に戻るので、ロビーで瀬尾さんのお父様に挨拶だけして、そそくさと市ヶ谷駅へ・・。
 
※ 3分<α<7分
 
ーーー引用おわりーーー