2010年8月。
夏季休暇で金沢戦(カンスタ)→酒田泊→鳥海山登山→実家泊→八幡平と観光した。
最後は悪天候で岩手山を断念し、龍泉洞から宮古へまわり、45号線を車でひたすら南下。
山田、釜石、大船渡、陸前高田と通過し、気仙沼に投宿。
約半年後に、浄土ヶ浜や気仙沼の街があのような光景になるとは、誰が想像したか…。
そして、2011年3月11日、担当していた某実用系書籍の撮影に立ち会っていた。
4日連続となった撮影も、この日が最終日。
16時までにはすべてを終え、著者は羽田から飛び立つはずだった。
残り数点の撮影となり、カメラマンと共にひと息入れていたそのとき。
個人的には、あの日本海中部地震以来の経験となる、強烈な揺れだった。
まさか震源地が東北だとは、その時にはまったく分からなかった・・・。
情報が入るまでは、翌日のガンバ戦に行く気満々だったし。
1年後の2012年3月。
ある仕事の打ち合わせで広野を訪れた。
もっと正確に言えば、「Jヴィレッジ」に行った(撮影禁止とあったので写真は撮っていない)。
1年経っても、爪痕はクッキリと残っていた。
その後、仙台国際ハーフマラソンに出たときも、ナビに従って道を進んだら通れなかったり・・・。
我々は、同規模の地震がまたいつ来るか分からない国に住んでいる。
阪神、東日本といろいろな教訓を学んだはず。
直接経験していない若者や子どもには、それをしっかりつないでいかないと。
阪神のときは、ちょっと時間が経ったら、報道があからさまに減ってしまった。
嘉門達夫が『怒りのグルーヴ』で「あれだけ取り上げてたマスコミも最近は全然やんけ~」と歌ってた。
今のところそれはなさそうなので安心しているが、絶対に風化させてはいけない。
ある程度の齢の秋田人は、合川南小の件で津波の怖さを覚えているし、節目節目で教えられもした。
何とか選挙とか野球拳大会とかもどうぞご勝手に中継すればいい。
ただ、こういうこともしつこいくらいに報道し、伝えていくのもマスメディアの役割ではないか。