バスケなら能工、ラグビーなら秋工、サッカーなら秋商か西目農。
フェンシングの合川に自転車の大農、レスリングの秋商、バレーの雄物川。
そうそう、陸上長距離は秋工や花輪ではなく秋田中央だった。
どの県もそうだろうけど、絶対的に強い競技と高校はあるもの。
伝統校に対し風穴を開けるのは、なかなかに一苦労なのだ。
で、週末の高校駅伝でも当たり前のように男女出場。
ほかにも、野球にサッカー、卓球、新体操・・・
そのスカウト力(と資金力)で、全国にその名を轟かす青森山田は凄ぇな、と素直に思います。
過去、秋田で実際にそれにチャレンジした高校が一つだけあった。
それが秋田経法大附(前秋田経大附、現・明桜)だ。
例えば・・・、
<硬式野球>
81年、東北NO.1の豪腕・松本豊(後・大洋)を擁し、甲子園初出場にして春8強・夏16強。
この出場を契機に、県高校野球を引っ張る学校の一つとなる。
(その後、1年生左腕中川申也で甲子園4強入りするが、水沢英樹時代の方が強さは感じた)
<駅伝>
79年初出場(30回記念大会に中央と同時出場)を果たす。
その後80年全国4位、81年全国3位、82年全国6位と、一躍全国トップクラスへ。
(余談だが、ライバルに触発されたのか、83年には名門中央が全国2位になっている)
<サッカー>
84年、全国初出場。秋商と西目農以外が出るのは、20年以上なかった。
つか、S28年からの30年で、秋商と西目以外は船川水産が1度出ただけ。
85年はインターハイにも出場。ちなみにこの年の秋商は、選手権全国4強に残る強豪校。
IHに限定すれば、2強がいる中で80年代に4度も全国に出ていたりする。
バスケとラグビーは、さすがに共に全国優勝する力がないと県内でも厳しかったのだろう。
露出の多い種目に絞ったのか分からないが、80年代前半は実に見事な成果を挙げている。
同世代の他県人と高校スポーツの話になると、よく「経附」の名前が出てくるのも必然。
逆に言えば、明桜なんて滅多に聞かない。
方針転換を図ったのか、現在は非常におとなしいという印象だ。
テレビ局やマスコミの数も、今とは比較にならなかった時代の話。
青森山田に比べると、全国に打って出るには少し早すぎたのかもしれない。
かといって、215㎝のセネガル人やら120㎏のトンガ人やら13分台のケニア人ばかりでも、ねぇ。
#ウインターカップの能工は初戦で完敗。田臥や菊地が泣いてるぞ!