ある人の前に神が現れた。

「お前に親を殺す権利を与えよう」

彼は親を殺したが、警察に捕まることもなく、世間は騒がなかった。


ある人の前に神が現れた。

「お前に夫を殺す権利を与えよう」

彼女は夫を殺したが、警察に捕まることもなく、世間は騒がなかった。


ある人の前に神が現れた。

「お前に友人を殺す権利を与えよう」

彼はある男を殺して、捕まった。


ある人の前に神が現れた。

「お前に神を殺す権利を与えよう」

彼女は目の前にいる神を殺して、捕まった。
よく、「自分探し」といった言葉が、思春期の皆様だけでなく、30過ぎたいい大人まで使ったりしています。

世界旅行など、未知の世界へ飛び出していく方もいたりするわけです。
しかし、ロバが旅にでたところで馬になって帰ってくるわけもなく、一生自分探しを続けているような方たちもいるわけです。

現実の自分と理想の自分をマッチさせるためには、諦めも重要だと思います。

喉がつぶれた人が歌手になることは無理ですし、下半身不随の人が100メートル走で世界一位にはなれません。

諦めといった言葉を、ネガティブに捉える方たちもいるかもしれませんが、
あきらめには明らめといった語もあり、現状を明らかにして、自分ができることとできないことを明確にして実行する、知的な作業のようにも感じられるわけです。

「自分探し」とは、「理想の自分」がよくわかっていない人や、「現実の自分」がよくわかっていない人が、行っている作業なんではと。。

そういった意味でいうと、
可愛そうな人たちにも見えてきますし、もしくは時間とお金をもっている、裕福な方たちにも見えてくるわけで、若者が行なっているのは初々しく、いい年した大人が言っていると大丈夫かな、、、と思うわけです。

あまり無謀なことに陥らないようにするためにも、現在ここにいる自分は、平凡な人間であり、特別な存在ではないという認識から始めることをお勧めします。漠然とした幻想と誇大妄想は人を迷路に誘うだけではないかと。。
フィリピンには、スクウォッターがたくさんいます。

※首都マニラの4割の住民がそれではないかとの報告も。

先日、某援助機関の方と会話してますとき、公共事業実施にこの不法占拠者をいかに、
移転させるかで難儀しているという話を聞きました。

もともと彼らは不法な存在であり、水道や電気といったインフラを無断で拝借したり、
誰かの土地に勝手に家を建てて財産権を犯してたりするわけです。
衛生面にも問題があり、感染病が蔓延したり、犯罪にも手を染めるわけで、厄介な存在なわけです。

彼らが集まる場所は、水があるところです。
水のあるところはダムや防波堤など公共事業の対象になりやすいわけですね。
公共事業を行なうためには彼らをいかに移転させるかが往々にして厄介ごとになるわけですね。。

昔は、密かに放火を行い、無理やり彼らを追い出すようなことをしていたときもあったようですが、
さすがに今はないです。

彼らの多くは地方から就業機会を求めてくるわけです。

ここで面白い構図ができるわけですが、

仕事がない → 不法占拠する → インフラ無断使用 → 公共事業の妨げ → 移転を受け入れる → 住居の獲得

上の流れを見てもわかるように、政策決定者は地方の雇用機会をつくらないと、余計なコストがかかってしまうわけです。移転先で就業機会がない場合、また不法占拠を行なうわけです。

一方で、地方の雇用機会をつくるためには、やはりインフラ整備を行なう必要があるため、地方開発とバランスを取りながら都市開発を実施していく必要があるわけです。それが難しいのでしょうが。。

とにかく、そういった公共事業を推進する方々には、不法占拠者が存在する背景を考えた上で、PJを進めて頂きたいものだぁ~と思うわけです。。