母方の祖父は9人兄弟姉妹だった。
その中の一人、母の叔母にあたる人は、
結婚してもなかなか子宝に恵まれず
名医や良薬の噂をきくと片っ端から試したが
効果はなかった。
もうほぼ諦めかけていた頃、
「すごい人がいる」とひとづてに聞き、
東京まで施術を受けにいった。
すると、結婚して16年目、初めて妊娠し
長男を出産した。昭和18年のことである。
諦めていた自分の子を
結婚16年目にして初めて授かった
彼女の気持ちを想像すると
次の行動も理解に難くはない。
彼女は、乳飲み子を抱えて
自分に施してもらった操法を習いに
わざわざ東京にまで通ったのだ。
その施術師の名前は野口晴哉。
彼女が習得した操法を「野口整体」という。
彼女は終戦後、名古屋の自宅で
「整体指導室」を開く。
看板も出さず宣伝も一切せずに
紹介の客しか受け付けないという形で。
それでも「名古屋で野口整体が受けられる」
と聞きつけた政財界の名士、力士、
御園座に出演中の役者などが
お忍びで通ってくるようになった。
母に連れられ野口晴哉の技を
間近で見ながら育った息子は
やがて成長して就職する年頃になった。
「お前はサラリーマンには向いていない」
と母に勧められ
東京に出て野口晴哉の内弟子となり
その奇跡の数々を目撃することとなる。
野口晴哉の亡き後は、名古屋に戻り
母から「伊藤整体指導室」を引き継ぎ
野口整体を実践してきた。
母の手伝いをしていた頃から約60年間
臨時休業したのは、母の葬儀の1日だけ。
発熱してどんなに体調が悪くとも
ギックリ腰で耐えられないような
痛みがあった時も
休まずに、いつもと同様に営業し続けた。
まさに野口整体を実践して生きてきた彼も
この9月で80歳。
とうとう、その「伊藤整体指導室」を
閉じることとなった。
私の母も妊娠中は叔母に診てもらい、
(だから私と妹達は生まれる前から
野口整体ベイビー👶)
おかげさまで私達は生まれつきすこぶる健康で
今のところ大病を患ったことがありません。
野口整体のおかげで
ここまで健康でこられました。
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
これからは「さとう式リンパケア」で
セルフケアを続けていきます。