正直、怒りを通り越して、情けなくなる事案です。
中学受験に携わる指導者として、同じ立場の人間がこんなことをしていると思うと、憤りを隠せない。
だからこそ、見過ごせない。
子どもを放置して、講師は煙草休憩?
夏期講習の期間中。
とある国語の授業を担当していた講師(その校舎の副校長ベテランのおっさん)が、生徒たちに大量の問題プリントを配布し、「じゃあ、やっておいて」と一言だけ残し、教室を出て行った。
戻ってきたのは30~40分後。
その間、彼は外でスポーツ新聞を読みながらタバコを吸っていたのです。
そして教室に戻り、「じゃあ、答え合わせするか」とだけ言って、解説もそこそこに授業を終えた。
これが仮にも「プロの講師」と名乗る人間のすることか?
これが、保護者が高額な授業料を支払って期待している「授業」なのか?
違います。これは教育でもなければ、指導でもない。
ただの手抜きを超えて、もっと言えば、詐欺です。
授業とは「場」を創ること
我々が“授業”と呼ぶものは、単にプリントを配ることではありません。
子どもたち一人ひとりの理解度を見極め、問いを投げかけ、考えさせ、間違いの背景にある認知のズレを見つけ、修正していく――そのすべてがあって、ようやく授業となる。
ただ紙を配り、黙って解かせるだけなら、塾に来る意味などない。
それこそ自宅で過去問を解いていれば十分です。
なぜ、わざわざ暑い中塾まで通い、親が高い費用を負担してまで子供を預けるのか。
その意味を、あの講師は全く理解していない。
授業という“場”を放棄して、煙草をふかして新聞を読んでいるその瞬間、
彼は教育を捨てたのです。
その後の授業では、授業中レンジでチンしたピラフを食べていたらしい。
生徒の時間と可能性を奪う行為
私たちが何よりも守るべきものの1つが、生徒の時間です。
特に中学受験期は、一日一日の積み重ねが命です。
時間は有限です。戻ってきません。
その大切な時間を、煙草一本に変えた講師。
その40分間で、本来なら生徒が得られたはずの「気づき」や「自信の芽」は、完全に失われました。
そして最も恐ろしいのは、それに子どもたちが慣れてしまうこと。
「塾って、こういうものなんだ」と、諦めてしまうこと。
そうして何も得られないまま受験に突入し、結果が出ない。
傷つくのは、子どもとその家族。
それを考えれば、怒りというより、悔しさと責任の重さが押し寄せてきます。
塾の看板や授業料に騙されないで
高額な講習費。その塾(大阪 その校舎は堺市)夏期講習+オプションで10万円を遥に超える。
その金額を前に、保護者の皆さんも当然「これだけ払えばきちんと指導してくれるだろう」と思われるでしょう。
でも、それは幻想です。
教育の質は、パンフレットの言葉や綺麗な教室、料金表の数字では測れない。
そこにいる“人”、つまり講師一人ひとりの意識と行動がすべてです。
生徒の理解に寄り添い、少しでも前に進めるよう全力を尽くす。
その姿勢のない講師に、指導を語る資格はありません。
本物の授業は「子どもが変わる」
私自身、子どもたちの前に立つとき、常に問うようにしています。
「この90分で、子どもの何が変わるか?」
たった1問でも、何かを“自分の力で”つかめたとき、子どもの目は輝きます。
その瞬間のために、教材を準備し、板書を工夫し、表情を観察しながら神経を張り巡らせて教室に立っています。
だから、あのような“放置とごまかし”が、同じ教育現場で起きていることが、こちらが恥ずかしくてたまらない。
最後に――保護者の皆様へ
どうか、塾の内側を見てください。
子どもが何を感じて帰ってきているか、目をそらさないでください。
子どもが本当に「伸びているか」、しっかり見てあげてください。
そして、もし何か違和感があれば、どうか声を上げてください。
塾に遠慮はいりません。
あなたが支払っているお金は、「子どもの未来」を買っているのですから。
教育は、形だけではありません。
一人ひとりの教師の覚悟と行動で、成り立っているのです。
本物の教育を、子どもたちに届けたい。
その邪魔をする者がいるなら、指導者であっても、私は声を上げ続けます。